地方本部 HP 記事検索
特集 | 社会・地域 | 同胞生活 | 本国関係 | スポーツ | 韓国エンタメ | 文化・芸能 | 生活相談Q&A | 本部・支部
Home > ニュース > 文化・芸能
前田慶次と直江兼続…2武将、深い朝鮮との縁
米沢市・上杉博物館蔵の直江兼続像
慶次所用と伝わる「朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足」(宮坂考古館蔵)
 NHK新大河ドラマ『天地人』(原作・火坂雅志)が順調に高視聴率を稼いでいる。この主人公・直江兼続(なおえかねつぐ)と、パチンコの人気機種から一躍有名になった前田慶次(まえだけいじ)とは、強い信頼関係で結ばれていた。この二人が朝鮮と深いかかわりがあったことに注目したい。

敬愛し敬愛された間柄

 「愛」という字を兜に掲げる甲冑姿で知られている直江兼続は、戦国時代末期の有力大名、上杉景勝(かげかつ)の重臣だ。

 石田光成の盟友として反徳川方の急先鋒だった景勝は、関ヶ原の合戦後、会津120万石から米沢(山形県)30万石に国替えさせられる。兼続は苛烈な制裁の中でも外様の小藩となった名門・上杉家を存続させ、その後も盛り立てていった名参謀である。武士でありながら日本や中国の古典に精通する文化人、学者としての業績も多く、当時の武将の中では文化的教養が格段に高い。

 その直江兼続を最も敬愛した人物が、「パチンコ」の人気機種『花の慶次』から一躍その名を知られるようになった前田慶次だ。北陸の有力大名、前田家につらなりながら、兼続と意気投合して上杉家の家臣となり、彼の後半生は上杉藩とかかわっていたとされる。

 前田慶次にかかわる史料は極めて少ない。生年・没年は不明、前田家とは養子縁組で、実父についても諸説ある。当時流行していた「傾奇(かぶき)者」として世間には名が知られていたが、単なる遊び人ではなく、連歌(れんが)をこよなく愛し、古典にも精通していた文化人であったことは、彼の日記などから推察できる。

 二人のもう一つの共通点は、朝鮮との浅からぬ《縁(えにし)》だ。二人が生きた時代、武将たちの大半は豊臣秀吉の朝鮮侵略に少なからずかかわらざるを得なかったが、二人の朝鮮との《縁》は、「侵略↑↓被侵略」図式の枠を越えている。ドラマやパチンコでは分からない、二人の戦国武将と朝鮮との《縁》を見よう。

■□
「愛」を兜に掲げる兼続
「戦利品」は文化財 壬辰倭乱時、「頭の肥やし」と大量に

 戦国時代を生きた武将たちは、鎧と兜にさまざまに意匠をほどこした。中でも異彩を放ったのが、黄金の「愛」の文字が頭上に燦然と輝く直江兼続の兜である。「愛」とは、軍神とされる愛染明王、あるいはやはり軍神の愛宕権現からの引用と考えられるが、彼が「民を愛する」ことからこの字を選んだと米沢市では言い伝えられている。

 上杉家はもともと越後(新潟県)が所領で、上杉謙信と甲斐(山梨県)の武田信玄との川中島の合戦は有名だ。直江兼続が仕えた上杉景勝は謙信の甥にあたるが、子がなかった謙信の養子となり、謙信の死後、上杉家の当主となった。景勝と兼続は越後の同じ村の生まれで幼なじみであった。景勝が謙信のもとに引き取られると、兼続もその小姓として謙信近くにおもむく。謙信は、いつも頭脳明晰な美少年を近くにはべらせて、文化的教養や人生訓などを語っていたと伝えられているが、景勝も兼続もその輪の中にいた。兼続の文化的教養は謙信から受け継いだとされる。

 また、兼続は美少年たちの中でも特別に眉目秀麗であったと、後の新井白石なども記している。兼続の生家は樋口という魚沼郡の豪族で、彼が22歳のとき謙信の有力家臣、直江家に入る。直江家は藤原釜足を祖先とする名門家系だが、当主が亡くなり跡継ぎが途絶えて、未亡人の再婚相手として兼続が直江家を引き受けることになった。ちなみに新潟県直江津市は、直江家に由来する。

国宝・重文級も多く

 1592年3月、肥前(佐賀県)名護屋城に全国の大名が続々と結集した。兼続も景勝に従い5千人の兵を率いて入城する。4月13日、まず小西行長の軍勢が釜山に上陸、秀吉による朝鮮侵略(壬辰倭乱、文禄の役)が始まった。上杉の軍勢はやや遅れ6月17日、釜山に上陸。兼続はすぐに、戦火で荒れた熊川城を日本式山城に改修する。

 朝鮮への出発前の名護屋城中や、釜山の熊川城陣中では、兼続らしい逸話が残されている。彼はどんな戦(いくさ)におもむいても読書を欠かさなかった。名護屋城では出兵前のあわただしさの中で、当地にあった中国の医学書『済世救方』300巻を借り受けて筆写させたり、博多の有力貿易商と茶の湯の会を催したりしていた。

 熊川城でも、連歌会を開催している。半年を超える上杉軍の朝鮮滞在中、兼続の朝鮮との《縁》で特筆すべきは、朝鮮にあった漢籍の書物や朝鮮の活本を大量に収集し、日本に持ち帰ったことだ。これはもちろん《戦利品=略奪品》である。

 ただし、戦乱で散逸・破損しかけていたものを保存するために日本に持ち帰ったとされていて、朝鮮でも中国でもほとんど残っていない貴重な文化財を結果的に救うことになった、と主張する日本の歴史家もいる。彼が収集した書籍の多く、例えば宋版『漢書』『後漢書』60冊、唐代の医学書『備急千金万』33冊など、日本の国宝や重要文化財の指定を受けているものも少なくない。

「文選」出版の銅活字も入手

 また、当時の日本にはなかった銅活字も持ち帰り、これで後に「直江版」と呼ばれる『文選』60巻、30冊を京都の要法寺で出版させている。「直江版」は後の儒学者に大いに利用され、儒学の普及に役立った。

 各大名の朝鮮からの『略奪品』というと、陶工やその他の奴隷、金品などが目立つ。

 ある武将が兼続に向かって「そんな書物をいくら持ち帰っても、たんぼの肥やしにもならないではないか」と揶揄すると、彼は真顔で「頭の肥やしになるのだ」と言い返したという逸話まである。

■□
謎だらけの前田慶次
朝鮮人と同行の旅 捕虜?親子に愛情も厚く

 前田慶次の生涯は謎だらけだ。生年は1533年(天文2年)、または1541年(天文10年)の二説が有力で、実の父親も特定されていないが、甲賀忍者の流れを汲む滝川一族の縁者ではないかとされ、滝川一益の息子説が有力である。

 前田家は当初、織田家の家臣で、滝川一族と同様に尾張にいた。そこで慶次は前田家の長兄・利久の養子となるが、前田家の家督は織田信長の命令で利久の弟・利家が相続することになった。その後、養父とともに北陸の利家のもとにしばらく身を寄せていたようだ。

 しかし、もともと慶次と利家の仲はしっくりいかず、奇行が目立つ慶次を利家はうとましく思っていたらしい。慶次はやがて前田家を出奔し、しばらく京都で遊行する。

 京都で、慶次が連歌会や古典の読書会にしばしば参加していた記録が残っている。

 「傾奇(かぶき)者」としても有名で、噂はやがて豊臣秀吉の耳にも及び、秀吉は京都の聚楽第(じゅらくだい)に「変わった趣向の格好で参れ」と慶次を呼び付けた。慶次は虎の革の陣羽織を身につけ、髷(まげ)を横向きにして、諸大名が居並ぶ中、秀吉に対し横向きに礼をした。頭は下げたがそっぽを向いているという意味だ。意表を突いた行為に秀吉も感心し、「天下御免」のお墨付きを与えたという。

「道中日記」が示す人柄

 数少ない史料と「傾奇者」としての幾つかの逸話をつなぎ合わせ、前田慶次を破天荒なスーパーヒーローに仕立て上げたのが、パチンコ『花の慶次』の原作本、隆慶一郎著『一夢庵風流記』である。パチンコでは、隆氏の原作を基に描かれた漫画版『花の慶次』のキャラクターを使用している。漫画版は原作をかなり脚色し、小説にある慶次と朝鮮との関係は一切省略されている。

 しかし原作では、物語の後半で朝鮮とのかかわりが強くなる。秀吉から「天下御免」のお墨付きをもらった慶次は、何と秀吉の命を受けた間諜として侵略直前の朝鮮に渡る(愛馬、松風も同行)。しかし、慶次は秀吉の朝鮮侵略(中国制覇)の野望には全く同意せず、朝鮮でも諜報活動どころか悪をくじくスーパーヒーローとして大活躍する。

 日本に帰ってからも、慶次に同行するのは捨丸と、原作では朝鮮からついて来た金悟洞という朝鮮忍者の二人。漫画やパチンコ版に登場する岩兵衛は、隆慶一郎氏の別作品の主人公の名である。また、パチンコの大当たり予告の一つ、前田まつを愛馬の松風にのせて一本咲き老桜の前に連れて行く場面があるが、原作では、連れているのは朝鮮で出会い慶次とともに日本に来た、古代国家・伽耶王家の末裔と自称する伽姫(日本に来てからは伽子)だ。原作では、慶次の恋人は前半は前田利家の妻・まつだが、後半では伽子である。

 このように原作の慶次と朝鮮との関係は濃密で、秀吉の朝鮮侵略と前後して物語は進展していく。しかし、慶次を通して見る原作者の朝鮮への視点は、秀吉とは正反対だ。隆慶一郎氏は、1989(平成元)年10月、『一夢庵風流記』で第二回柴田錬三郎賞を受賞する。しかし、受賞式を前に急逝した。

 隆慶一郎氏の朝鮮へのこだわりは分かるとしても、小説での前田慶次と朝鮮とのかかわり方は破天荒すぎると思われるかもしれない。彼が渡朝した可能性はほとんどゼロに近い。しかし実際の前田慶次も、朝鮮との《縁》はかなり深いと見ていい。

 前田慶次に関する史料の中で、最も信頼性が高いとされる『前田慶次道中日記』。関ヶ原合戦の翌年、1601年10月24日に慶次は京都伏見を出発し、米沢の上杉藩に向かって旅立った。米沢には11月19日に到着している。日記は、慶次の高い文化的教養を随所に感じさせ、「傾奇者」の面目躍如のユーモアにあふれている。

 中でも注目すべきは、京都を出発してから美濃の関ヶ原まで、少なくとも3人の朝鮮人が慶次に同行している点だ。その3人は親子で、関ヶ原で父親が急病で倒れ、地元の領主に預かってもらうことにした。そのために書状をしたため、二人の子供(名前は楚慶と寉人)は慶次とともに奥州に向かう。親子の別れは悲しいが、仕方がないと記している。現地には「前田の碑」が建つ。

 この3人はおそらく従者の親子と思われ、朝鮮侵略の際の捕虜の可能性も高いが、記述の行間からは、慶次の3人に対する愛情が感じられ、彼らが単なる従者とは思えない。子供を奥州まで同行させるのも、そのまま手放したくなかったからだろう。隆氏の原作に登場する、慶次と同行する朝鮮忍者のモデルは、明らかにこの記述である。道中記の慶次と朝鮮人親子との関係は全く不明だが、《侵略←→被侵略》の図式とは別次元の《縁》が感じられよう。

 NHK大河ドラマの主人公とパチンコのキャラクター、ともに日本の大衆の心をとらえる人物に、それぞれに朝鮮との深い《縁》がある。韓日関係の積み重なりの中には、恩讐を超えて個々の人間同士のさまざまな出会いがあったことを、今さらながら思い起こさせる。

(2009.1.28 民団新聞)
最も多く読まれているニュース
差別禁止条例制定をめざす…在日...
 在日韓国人法曹フォーラム(李宇海会長)は7日、都内のホテルで第6回定時会員総会を開いた。会員21人の出席で成立。17年度の報告があ...
偏見と蔑視に抗って…高麗博物館...
 韓日交流史をテーマとする高麗博物館(東京・新宿区大久保)で企画展「在日韓国・朝鮮人の戦後」が始まった。厳しい偏見と蔑視に負けず、今...
韓商連統合2年、安定軌道に…新...
金光一氏は名誉会長に 一般社団法人在日韓国商工会議所(金光一会長)の第56期定期総会が13日、都内で開かれた。定数156人全員(委任...
その他の文化・芸能ニュース
韓国伝統の4山寺…世界文化...
3寺は見送り 韓国が世界文化遺産への登録を申請していた「韓国の伝統山寺」7寺について、登録の可否を事前審査する国連教育科学文化機...
韓国の手仕事を味わう…ポジ...
 ポジャギ工房koe(兵庫・神戸市)が2年ごとに開催する「韓国の手仕事 ポジャギ〜繋in東京2018」が10日〜15日まで、東京...
韓国麺料理ガイド…観光公社...
 韓国観光公社大阪支社ではこのほど、韓国のご当地を代表する麺料理の由来や特徴、有名店、関連観光地などを紹介する「韓国麺BOOK」...

MINDAN All Rights Reserved.