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<6・25休戦60周年>歪みあらわ「対米協定論」…検証・北の言説
韓国戦争の本質と休戦過程の特徴が論議された東京での「停戦60周年学術シンポジウム」
「南北朝鮮の平和協定を」との金日成提案を伝える読売新聞(72年1月11日付)

 「6・25」韓国戦争(朝鮮戦争)の休戦協定が締結されてから満60年(7月27日)になる。北韓による38度線全域での電撃的南侵で始まり3年余り続いたこの戦争で、同胞だけでも数百万人が死亡、国土の荒廃化に加えて南北分断を固定化させ、南北合わせて1000万人もの離散家族を生んだ。だが、北韓は、戦争責任を韓国及び米国に転嫁すると同時に「解放戦争勝利」と美化してやまない。平壌では、60周年にあわせて「祖国解放戦争勝利館」を全面改装、「勝利者の大祝典」として金日成広場で大規模な閲兵式(軍事パレード)を行った。また、休戦協定に替わる、韓国抜きの朝米平和協定の締結を執拗に主張している。休戦協定に関する北韓の言説を再検証する。(編集委員・朴容正)

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歴史捏造の「戦勝節」
開戦責任転嫁し美化…同胞死者400万を足蹴に

 6・25韓国戦争は、ソ連・中国との合意のもとに北韓が始めた。侵略阻止のため米軍を主とした国連軍(16カ国)参戦後には中国軍が介入。3年余りにおよんだ戦争の休戦協定は、53年7月27日、板門店で国連軍側首席代表のハリソン米陸軍中将と中国・北韓軍側首席代表の南日北韓軍総参謀長が署名した。この後、クラーク国連軍総司令官が汶山で、金日成北韓人民軍最高司令官が平壌で、翌28日に彭徳懐中国人民志願軍司令員(司令官)が開城でそれぞれ最終署名した。

 北韓は、今でも6・25は韓国を「占領」している米国が韓国軍を使い、引き起こしたと偽り、「北侵説」を喧伝することをやめず、開戦責任を転嫁している。

 だが、6・25は、金日成が武力統一のためにスターリン、毛沢東との事前協議(共同謀議)の下に周到綿密な計画と準備を整え開始したものだった。このことは、冷戦崩壊後の90年代になり、旧ソ連外交文書など多くの一次史料が公開され、もはや誰も否定できなくなった。

 金日成は開戦1年余り前の49年3月、モスクワでのスターリンとの会談で南侵の意思を表明。スターリンは50年1月に計画を承認し、4月に金日成をモスクワに呼んでいる。スターリンの指示で翌5月に北京を訪問した金日成は毛沢東に計画を説明、了解を得た。

 この後、北韓は6月7日に祖国統一民主主義戦線が韓国の諸政党と社会団体に、同19日には最高人民会議常任委員会が韓国国会に、それぞれ平和統一方案を提示し対話を呼びかけた。全面南侵はその直後だった。

 6・25の人的被害について正確な統計はない。だが、世界規模の大戦ではない個別の戦争において、その大きさ、直接には死者数の多さという点で、6・25は突出している。

 岩波小辞典『現代韓国・朝鮮』では「北朝鮮側は250万、中国志願軍は100万、韓国側は150万、米軍は5万の死者を出した」としている。南北だけでも400万人になり、「15年戦争」(満州事変・日中戦争・日米戦争)における日本の死者300万人を上回る。

南北離散家族は1000万

 この戦争はまた、南北1000万人と言われる離散家族を生んだ。当時の南北の人口は2865万人で、3人に1人が家族離散の被害者になった。休戦から60年にもなるのに、これまで南北間合意により再会を果たしたのはごく一部にすぎない。北韓側の拒否により、自由往来・再結合はもとより故郷訪問や定期的面会、それに書信の交換すらいまだに実施されていない。

 金日成は、自らが開始した民族相食む戦争の責任を取らぬどころか、美化し自分の神話化に力を注いだ。

 休戦協定調印の翌日、平壌で11万市民を集めた「祝賀集会」での演説で、開戦や敗戦(武力統一失敗)の責任には触れず、1,朝鮮全体を「植民地」にし、ソ連と中国に対する軍事基地に変えようとした「米帝国主義者」の企てを粉砕し、敗北させた2,これは「わが国とわが人民が勝ち取った偉大な勝利である」と宣言した。

 南北分断の固定化と軍事対峙の恒常化を招いた6・25を、北韓では「敬愛する金日成主席の卓越した領導により朝鮮人民軍と朝鮮人民は祖国解放戦争に勝利した」と喧伝。7月27日を「米国から降伏書を勝ち取った勝利記念日」と称して大々的に祝ってきた。権力を世襲した金正日は97年4月、「朝鮮解放戦争勝利記念日」を国家的名節「戦勝節」に制定している。

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「中朝連合司」の存在
中国側が作戦総指揮…最高司令官・金日成は肩書きだけ保持

 「祖国解放戦争で卓越した軍事知略と指揮によって敵に殲滅的打撃を与え、祖国の歴史に不滅の業績を積まれた敬愛する金日成主席様」(総連傘下朝鮮学校の歴史教科書「現代朝鮮歴史 高級1」)/「卓越した戦略戦術と賢明な領導で祖国解放戦争の輝かしい勝利をもたらした首領様の偉大な戦勝業績」(金正恩2013年新年辞)

 事実はどうか。

 北韓軍は奇襲南侵によりソウルを陥落させ、破竹の進撃で8月20日までに韓国地域の90%以上を支配下に置き、釜山周辺にまで迫った。だが、米国を中心とした国連軍が9月15日に仁川上陸作戦を成功させたことで戦況は一変。国連軍がソウルを奪還(9月28日)し、38度線を突破して北上すると北韓軍は総崩れとなった。

 北韓の存続自体が危ぶまれるに至り、金日成は、10月1日に毛沢東宛の書簡で「人民解放軍の緊急直接出動」を要請した。スターリンも中国指導部に出兵を要請する電報を打った。10月19日にソ連軍の武器弾薬で武装した中国「人民志願軍」12個師団が鴨緑江を渡り参戦。1週間後にはさらに6個師団が続いた。戦争の主役は北韓軍から中国軍に変わった。

 毛沢東は、12月に北京を訪問していた金日成に連合司令部の設置問題を提起。金日成はスターリンからも連合司令部の設置について指示を受けていたため応じざるを得なかった。同月中に連合指令部が構成された。連合司令部が一切のことを指揮し、後方の動員、訓練、軍政警備が北韓政府の仕事となった。

「休戦」交渉も毛沢東管轄で

 中国軍の彭徳懐司令員が連合司令部司令員兼政治委員となり、中国軍が北韓軍に対する作戦指揮権を掌握することになった。連合司令部はその後、51年3月には空軍連合司令部、8月には連合鉄道運輸司令部、12月に前方運輸司令部が設置された。いずれも中国側が司令員、北韓側が副司令であった。

 「金日成は今後も朝鮮人民軍最高司令官の肩書きを保持するものの戦争の作戦指導からは完全に排除された。金日成にとってこれは屈辱的な事態であった。戦争はこうして組織的にも米軍と中国軍の戦争になった」(和田春樹「北朝鮮現代史」岩波書店)。

 51年7月から始まった休戦交渉も、毛沢東が管轄していた。毛沢東はスターリンに定期的に状況を報告し最重要問題に関して忠告を仰いだ。休戦会談には中国軍代表と北韓軍代表が形式の上では対等の立場で出席したが、本会談の場で総指揮をとったのは、彭徳懐から全権委任された中国軍代表の解方少将だった。

 中国・北韓連合司令部の存在は、対外的に秘密に付され、公開されることはなかった。このため休戦協定の署名は、彭徳懐だけでなく金日成も行った。

 中国は3年間に述べ300万もの兵力を投入したといわれる。中国側の支払った代価は大きかった。死者は公式的には11万6000人とされているが、実際は100万人に達したとみられている。中国軍の参戦と連合司令部の構成により、北韓の存続が保障された。

 中国軍は休戦協定調印後も北韓内に残り、鉄道線路の補修など、北韓の戦後復興に協力した後、58年10月に完全撤退した。

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無原則な「平和協定」
74年に南北間から一変…いまだ合理的説明できず

 北韓は、今年に入ってからも米国に対して「休戦協定を平和協定に代えるための会談」を速やかに始めるよう提案している。

 だが、この提案は、最も肝心な当事国である韓国の参加については一言半句もない。ばかりか、「韓国は休戦協定の当事者ではない」かのように強弁している。

 そうした北韓を代弁するかのように崔勇海・朝鮮大学校准教授は「休戦協定の唯一の交渉当事者である米国(韓国は休戦協定の法的当事者ではなく、中国はすでに実質的当事者ではない)」云々と主張している(3月22日付「週刊金曜日」)。

 前述のように休戦協定の署名者は、国連軍総司令官と、北韓軍最高司令官および中国人民志願軍司令員の3者だ。国連軍側は、統一的司令部を構成しており、韓国軍はその指揮下にあった。

 休戦協定調印時に、李承晩大統領が「休戦は国土の分断(固定化)と同義語だ」とし「統一を阻む休戦」に強く反対し執拗に抵抗したことはよく知られている。

 だが、国連軍として参戦したすべての国の軍を代表して国連軍総司令官が休戦協定に署名したのである。すでに国連軍司令部の指揮下にあった韓国軍もその一員であった。

 北韓軍の奇襲全面南侵により、総崩れ状態にあった韓国軍の建て直しおよび効率的作戦遂行のため、暫定的な措置として李承晩大統領が、50年7月14日、臨時首都大田で駐韓米国大使を通じて韓国軍の作戦指揮権を国連軍総司令官に委譲していたからだ(「大田協定」)。

 休戦協定は、戦闘行為の停止とそれに伴う捕虜交換などの取り決めが目的であったから、交戦当事者の軍最高司令官が署名したのであり、またその署名で十分であった。韓国も米国などほかの国連軍参戦国と共に休戦協定の法的当事者となった。

 休戦会談で韓国軍初代代表を務めた白善・元陸軍大将は「(韓国は)休戦協定に署名しなかったのでなく、国連軍の一員として韓国は含まれていた」と指摘している(「韓国日報」03年7月25日「6・25休戦50周年」)。

 休戦協定署名者に韓国側の名前がみられないことをもって「韓国は休戦協定当事者でない」とするのは、明らかに間違いだ。

 金大中大統領は、金正日国防委員長との「6・15共同宣言」発表後の2000年10月、「休戦協定締結当時、米国のクラーク将軍が署名したが、これは国連軍代表(総司令官)として行ったもので、韓国は国連軍の一員だったので当然協定当事者である」(10月31日付「コリア・タイムズ」創刊50周年会見)と強調している。

 翌年の韓国戦争51周年に際しての演説では、「韓半島での休戦状態を終息させるために南北間で平和協定が締結されなければならない」と呼びかけ、「平和協定はあくまでも南北当事者が主導しなければならない。南北双方をはじめ、主要参戦国である米国と中国が支持し実践に協力しなければならず、国連の賛成も必要である」と表明している。

読売新聞との単独会見でも

 そもそも北韓が「休戦協定には朝鮮と中国と、そして米国が署名した」と主張、「韓国は当事者ではない」かのように喧伝し、休戦協定に替わる朝米平和協定を主張するようになったのは、74年3月(最高人民会議名で米国議会宛の書簡送付)からのことである。それまでは、戦争終結のための平和協定を南北間で締結することを主張、提案していた。

 たとえば、72年1月、金日成(当時首相)は日本の「読売新聞」特派員との単独会見で「朝鮮での緊張を緩和するためには、なによりも朝鮮休戦協定を南北間の平和協定に替える必要がある」と強調していた(読売新聞1月11日付「南北朝鮮の平和協定を、金日成首相が提案」)。

 さらに、南北の自主・平和・民族大同団結の統一3原則を盛り込んだ「7・4南北共同声明」発表の翌年、73年4月の最高人民会議では「南北平和協定5項目提案」を行っていたのである。

 73年11月に平壌で日本新聞協会代表団と会見した鄭準基副首相(当時)も「南北の平和協定は今でも結ぼうと言っている」と強調していた(「毎日新聞」73年11月7日)。

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韓国排除へ「海外」も動員
恥ずべき「署名運動」

 北韓の「対米平和協定」主張は、休戦協定の当事者である韓国排除を目的としており、非現実的で法理的にも妥当性を欠く。南北の和解推進および韓半島の平和体制構築とは無縁な、きわめて政略的なものだ。

 ところが6・15共同宣言実践日本地域委員会(議長=郭東儀韓統連常任顧問)は、「朝米平和協定締結と北南共同宣言履行のための宣言運動」を、「韓国および日本の市民団体」との協力のもとに、4月19日から10・4宣言6周年を迎える10月4日まで展開。在日同胞および日本市民から賛同署名を集めているという。

 6・15日本地域委員会は、北韓当局の日本における忠実な代理・代弁人で「金日成王朝下統一」推進を使命とする総連と、その別働隊である韓統連(在日韓国民主統一連合)によって運営されている。同委員会の李東済副議長(在日朝鮮人平和統一協会会長)は、署名運動について「平和と統一を望む民族の切実な念願を実現するため」と主張している(総連機関紙「朝鮮新報」6月14日)。

 「金日成王朝下統一」を無条件支持する「朝鮮の自主的平和統一支持日本委員会」も署名運動に加わり、日森文尋議長は「朝鮮半島の平和と統一を妨害する最大の障害物・在韓米軍を撤退に追い込むためには、朝米平和協定の締結が不可欠である」と強調している。

 のみならず、6・15共同宣言実践南側委員会常任代表の呉宗烈進歩連帯総会議長は、日本での連続講演で「6・15宣言と、その実践綱領である10・4宣言を履行し統一を成し遂げるためには、(朝米)平和協定を締結し朝鮮半島に恒久的平和体制を実現することが必須条件だ」と強弁している(「朝鮮新報」6月12日)。

 そもそも韓国排除を目的とした「朝米平和協定」締結要求運動は、6・15宣言の基本理念とされている「わが民族同士」にも反するものだ。

 6・15宣言の署名者、金大中大統領は、前述したように「平和協定はあくまでも南北当事者が主導しなければならない」と再三強調している。

 金大統領は、6・15宣言を発表した金正日国防委員長との会談で、「南北基本合意書」(南北間の和解・不可侵および交流協力に関する合意書。92年)の重要性を指摘、分野別共同委員会の再稼働の必要性を強調した。

 ちなみに、基本合意書は「現在の休戦状態を南北間の堅固な平和状態に転換させるために共同で努力し、このような平和状態が定着するまで、現軍事休戦協定を順守する」と明記している。

 金大統領は6・15宣言直後の「6・25戦争50周年記念式典」では「今後(基本合意書に基づき南北間に)軍事委員会を設置し、緊張緩和や不可侵など平和のための措置について積極的に協議していく」と表明した。

 07年の盧武鉉大統領と金国防委員長による10・4宣言(南北関係発展と平和繁栄のための宣言)も、「南北は、現在の休戦体制を終結させ恒久的な平和体制を構築すべきだという点で認識を共にし、直接関連する3者または4者の首脳が韓半島地域で会談し、終戦を宣言する問題を推進するために協力していく」とうたっている。「3者」は南北+米国であり、「4者」は南北+米中だ。当然のことながらいずれも南北を主役としている。

 金大統領の右腕として対北政策を推進した林東源・元統一部長官は「6・15と10・4は南北基本合意書を土台としている」と強調している(09年12月「南北基本合意書採択18周年記念国際学術会議」)。

どこへ行った「主席の誓い」

 このように「南北共同宣言(6・15、10・4)の尊重・履行」と整合するのは、南北平和協定であり、朝米平和協定ではない。朝米平和協定推進は、これまでの南北間の各種基本合意からの後退を意味する。

 休戦体制から平和体制への転換推進には南北の相互信頼関係の構築が先決であり、南北間の各種基本合意の誠実な順守・履行が必要不可欠だ。

 ちなみに、金日成は92年2月、平壌での第6回南北総理会談を終えた双方の代表団を前に声明書を読み上げ、「今回発効した合意文書(南北基本合意書および韓半島非核化共同宣言)は北と南の責任ある当局が民族の前に誓った誓約だ。共和国政府は、この歴史的な合意文書を祖国の自主的平和統一の道で達成した高貴な結実と考え、その履行にあらゆる努力を尽くす」と約束していた(林東源「南北首脳会談への道 林東源回顧録」岩波書店)。

 朝米平和協定締結署名運動は、明らかに「永遠の主席」の行った「民族への誓約」とは相いれない。

(2013.7.31 民団新聞)
 

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