エリート層にも動揺広がる 金正日急死後の2011年12月30日、金正恩が軍の最高司令官に就任し、金王朝の3代目の世襲者となった。北韓住民2500万の命を握ることになった人物はそのとき、わずか27歳だった。 能力や資質も検証されないまま、国政の経験もない金正恩が3代目になったのは、金日成、金正日による独裁を経ることで精巧になった金王朝システムの働き、党・政・軍のエリートたちの金一家と同じ船に乗ろうとする「運命共同体」意識、そして正恩が金正日の息子だということにつきる。 就任から3年が過ぎたいま、金正恩政権は果たして堅固になったのだろうか。形式的に見れば、自らの唯一領導体制を確立するのに成功したかのように映る。しかしこれは、血が流れるのをいとわない恐怖政治によるものだ。 金正恩が突然のように権力を継承したとき、何も分からない彼を支える勢力がまさに、叔母の金敬姫秘書と叔父の張成沢を中心とする姻戚たち、生前の金正日から「正恩を武力と情報で守れ!」と特命を受けた李英浩・前軍総参謀長と禹東測・前国家安全保衛部第1副部長を中心とする側近たちである。 こういう者たちが金正恩を助けたのであり、これがなければ今日の金正恩は存在し得なかった。 しかし、ある程度のレベルまで権力を掌握した金正恩は、それまで助けとなった勢力に対する粛清に打って出た。12年4月、禹東測がなんらの前触れもなく粛清され、同年7月には、李英浩が逮捕されて権力の座から消えた。これは、権力の核心である保衛部と軍を自ら直接握ろうとする金正恩の初の試みだった。 軍部巨頭たちの粛清によって自信をもった彼は、13年12月、金日成の婿であり、金一族の支柱とも言うべき張成沢・前行政部長を残忍にも機関銃で処刑した。その後、金日成の娘として、いわゆる「白頭の血統」の中枢にある金敬姫も姿を確認できなくなっている。 金一家の歴史がいくら粛清に彩られているといっても、今回のように、身内を機関銃で殺害するようなことは一度もなかった。 金正恩は、一方では恐怖政治を行いながら、もう一方では人民のためという美名のもとに、自らの趣向に合う娯楽施設と偶像化施設の建設に金を注ぎ込んでいる。 各地に金日成と金正日が対になった銅像が建てられ、馬息嶺スキー場、美林(ミリン)乗馬クラブ、紋繍(ムンス)水遊場などが建設された。だが、これは言うまでもなく、すべて特権層のためのものであり、住民には絵に描いたモチにもならない。住民に行き渡ったのは恐怖政治だけである。 金正恩は、韓半島情勢を極度に緊張させる半面で、核開発に反対する中国に正面から食ってかかり、日本とロシアとは関係改善を図りながら、中国を刺激する異様な動きを見せた。 内部に漂う腐臭 北韓内閣で高位にあって最近脱北した人士によれば、金正恩は崔龍海の訪中(昨年)直後、「習近平が我々を裏切った。思い知らせてやれ。中国が海外公館で組織する行事に、大使ではなく下級書記官を行かせろ。中国に朝鮮の威厳を見せてやれ」との電文指示を出したという。 長い国境で接するだけでなく、北韓の経済を支えてきた中国との関係はかつてなく悪化している。張成沢、李英浩を処刑したことで、党・政・軍のエリートたちの頭のなかでは、金正恩と同じ船に乗らねばならないとの意識も崩れてはじめたという。 表面的には「唯一領導体制」が確立されたように見えても、内部には腐臭が漂っており、対外関係もまともではない。1月8日に満で31歳になった無能な金正恩。彼がどれほど持ちこたえるのか、国際社会が注視している。 高英煥(国家安保戦略研究院 主席研究委員) (2015.1.15 民団新聞) |