地方本部 HP 記事検索
特集 | 社会・地域 | 同胞生活 | 本国関係 | スポーツ | 韓国エンタメ | 文化・芸能 | 生活相談Q&A | 本部・支部
Home > ニュース > 文化・芸能
韓国食育の歴史<8> コチュ
貯蔵食品の生みの親

 唐辛子(コチュ)は、中南米が原産地とされ、文献によれば16世紀中葉にポルトガル商人により日本に入ったのが、東洋では最初と考証されている。韓国には、文献上によれば壬辰倭乱の際、日本から伝来したとされ、当初は倭藩椒、あるいは倭芥子と呼ばれていた。

 コチュが初めて文献に登場するのは、名臣、李 光の著「芝峰類説」(1613年)で、「南藩椒は毒をもっている。倭国から入ってきたので世俗ではこれは倭芥子という。今は種を植えているところもある。酒家では猛烈な辛さを利用する。あるいは焼酎と一緒に売ることもある。これを食して多く死んだ」と記されている。

 その後、中国からも品種の異なるコチュが入ってくる。唐椒がそれである。このように伝来したコチュはすぐに広く使われたのではなく、かなり後、徐々に韓国の食生活に欠かせないものとして浸透していく。

 韓国のは他国のコチュよりまろやかな辛味で、甘味成分やうまみ成分の含有量が多い。おそらく韓国固有の風土的な土壌のせいではないだろうか。コチュが香辛料として特にキムチに利用されたという記述は、1766年の「増補山林経済」で紹介されている。この時期、積極的にコチュを使用した理由として、不足していた塩を節約する目的があったという記録がある。

 今日ではコチュのカプサイシンが減塩作用に効果があるということが、科学で立証されている。ほかにも胃の粘膜を刺激し、消化液の分泌を促すなど、すでに韓国の食文化のなかで、コチュが健康的な食べ物として着目していたことになる。

 コチュは肉薄の太陽熱で乾かした太陽椒(テヤンチョ)が上質とされている。ひと昔前までは藁葺きの屋根や庭に干された赤いコチュは、農村の風物詩であったが、近年は火力乾燥のコチュが市場を占めている。主婦は8、9月ころにはこの太陽椒を求めて奔走する。キムジャンや翌年の春先に仕込むコチュヂャン用を確保するためである。

 コチュヂャンの歴史はキムチにコチュを加えた時期とほぼ同じ17世紀後半とされている。コチェの登場はコチュヂャンという貯蔵食品を生み、野菜につけたり、チゲやヤンニョンに加えたりと幅広く使われている。

 以前、韓国のスポーツ科学研究所のデータによると、選手の外国遠征の際、コチュヂャンがなくて食欲が低下し、記録も落ちたという発表があった。コチュヂャンは韓国の人々の心のよりどころなのである。

料理研究家 姜連淑

(2008.10.22 民団新聞)
最も多く読まれているニュース
差別禁止条例制定をめざす…在日...
 在日韓国人法曹フォーラム(李宇海会長)は7日、都内のホテルで第6回定時会員総会を開いた。会員21人の出席で成立。17年度の報告があ...
偏見と蔑視に抗って…高麗博物館...
 韓日交流史をテーマとする高麗博物館(東京・新宿区大久保)で企画展「在日韓国・朝鮮人の戦後」が始まった。厳しい偏見と蔑視に負けず、今...
韓商連統合2年、安定軌道に…新...
金光一氏は名誉会長に 一般社団法人在日韓国商工会議所(金光一会長)の第56期定期総会が13日、都内で開かれた。定数156人全員(委任...
その他の文化・芸能ニュース
韓国伝統の4山寺…世界文化...
3寺は見送り 韓国が世界文化遺産への登録を申請していた「韓国の伝統山寺」7寺について、登録の可否を事前審査する国連教育科学文化機...
韓国の手仕事を味わう…ポジ...
 ポジャギ工房koe(兵庫・神戸市)が2年ごとに開催する「韓国の手仕事 ポジャギ〜繋in東京2018」が10日〜15日まで、東京...
韓国麺料理ガイド…観光公社...
 韓国観光公社大阪支社ではこのほど、韓国のご当地を代表する麺料理の由来や特徴、有名店、関連観光地などを紹介する「韓国麺BOOK」...

MINDAN All Rights Reserved.