「第3次 21世紀の朝鮮通信使 ソウル−東京 友情ウオーク(日本ウオーキング協会・韓国体育振興会など主催、民団中央本部など後援)」の一行48人が20日、釜山市にゴールした。(文・写真 金井三喜雄) ソウル景福宮を出発したのは1日だった。今年の韓国の春は遅く、ケナリ(レンギョウ)の黄色い花はようやく5日が過ぎて咲きだした。一方で朝晩の冷え込みはあまり厳しくなく、気候的には歩きやすい日が続いた。ソウル郊外の道は交通量が多く、警察官やパトカーがたびたび先導してくれて、歩行の安全に気をつかってくれた。 かつて朝鮮通信使が通った道の中で、昔の雰囲気が保存されている鳥嶺峠はあいにくの雨だったが、通信使の記録にも雨の峠越えで難儀した様子が記載されており、200年後の今、追体験しているようだった。 峠を越えて慶尚北道に入ると、過去2回とも満開だった桜並木はまだツボミのまま。ケナリの花の黄色だけが目立つ。 龍仁市、忠州市、安東市、軍威郡では市や郡主催の夕食会に招待された。このほか、聞慶市、醴泉郡などでも歓迎を受けた。田舎道では、「震災への救援ありがとう」のノボリを見た作業中の5人の若者が拍手で「がんばって!」と日本語で応援してくれた。 2年後に第4次 今回は日本コースを断念したが、2年後の2013年には今回の分もがんばろうと、同じ時期(4月1日〜5月20日)に同じコース(ソウル〜東京)で「第4次 21世紀の朝鮮通信使 ソウルー東京 日韓友情ウオーク」を行うことを日本、韓国の実行委員会が協議して決めた。 在日が潤滑油役に 在日同胞7人も父祖の生まれ育った地を踏みしめながら、最後まで歩き通した。 李恵美子さん(60、大阪府)はこれで3回連続、同じく康静春さん(60、広島県)と安貞一さん(68、滋賀県)は2回目。初参加は李蓮玉さん(72、和歌山県)、厳武華さん(71、長野県)、崔甲新さん(66、大阪府)、朴明淑さん(68、広島県)の4人。 李蓮玉さんは、「父の出身地、慶尚北道軍威郡をじかに見たかった。この年なので行くのは今しかない」と思い立った。「歩いてみて、韓国の土地や風景に懐かしさを感じた。この雰囲気が父が生まれたところなんだと実感できてうれしかた」と涙ぐんだ。 厳武華さんは「親のふるさと、母なる大地に触れたかった」という。役場に照会したが、故郷の正確な場所は突きとめられなかった。安東市の河回村を流れる悠々とした洛東江の流れを見て、こんな雰囲気の場所で霊を慰められたらと、用意してきた父母の「かたみ」を川に流した。 崔さんは、「これまでの1、2次は部分参加だったので、今度こそ全コース歩き通したかった」と話す。「自分への挑戦として歩いた。達成できてうれしい。自分を誇れる」と語った。 朴さんは、「故郷にはこんな野菜や果物があるんだと、新鮮な印象を受けた。これも歩いたからこそ感じられたことでうれしい」と目を細める。 安さんは前回の参加後、ソウルに語学留学して韓国語を学びなおし、今回は通訳の役も果たした。 李恵美子さんは、「朝鮮通信使が韓日間の善隣友好の証だったことをもっと知ってほしい」と話す。 康さんは今回も詳しい韓国の歴史知識を駆使して、市長や郡守の歓迎のあいさつを的確に通訳し、見事に「潤滑油」の役目を果たした。 (2011.4.27 民団新聞) |