韓国でKBS交響楽団をバックにデビューして絶賛を浴びた丁讃宇さん(64)。50歳を前に安定した延世大学教授の椅子を捨てて日本に戻り、病院の入院患者や障がいを持つ子どもたち、そして東日本大震災の被災者たちを前にチャリティー演奏活動を続けている。在日として社会貢献活動をすることはかねてからの念願だったという。今年デビュー45周年を迎える。 在日の証を示したい 続く恩返しの演奏会 東京都の都道府県がん診療連携拠点に指定されているある病院でのコンサート。軽妙なおしゃべりで作品にまつわるエピソードを披露し、作曲者の思いを語る。クラシックコンサートでは異例とされる行為だ。ストラディバリウスに並ぶ名器グァルネリでモーツアルトの名曲を奏で、アンコールに応えて山口百恵のヒット曲「秋桜」を演奏した。沸き立つような拍手の中、そっと涙する入院患者の姿が見られた。 障がいを持つ子どもと親を支援する「湘南ふくしチャリティーコンサート」への出演も長い。地域の福祉事業所の資金づくりに協力をとの趣旨に共鳴した。JR新大久保駅で人命救助のために命を落とした韓国人留学生、李秀賢人さんをしのぶ追悼コンサートも開催した。 父親が民団の支団長を務めていたこともあり、在日意識が強い丁さんは、「喜んでくれる人がいるのがなによりも嬉しい。日本で生まれ、ここまで支えてもらった。後輩たちが日本でよりよい生活をしていくためにも、ボランティアとして日本社会に寄与していきたい」という。 丁さんのバイオリンの演奏は日本では「すごく大陸的で身振りも大きく、激しい」と評される。逆に韓国では「なんでそんなに繊細なんだ」と驚かれる。 「僕が韓国人だというのはどうしようもなくそうなんだし、僕の普通の感覚のなかに日本的なものがあるんだったらそれはそれでいいんではないか。憂いを帯びて暗いけど、そこに芯があるから明日に向かってアピールできる。これが在日としての僕の強み。これを演奏で表現していきたい」 丁さんはパリ国立音楽院に留学。同大学院を首席で卒業、27歳の若さで韓国国立交響楽団の首席コンサートマスターに就任した。2年後には東京交響楽団からオファーを受けてコンマスに。韓国に日本のN響にあたるKBS交響楽団が発足すると、再び首席コンマスとして戻った。 オーケストラを離れてからは延世大教授として教鞭をとりながらソロ活動を続けていた。生活は安定していたものの、気がついたら韓国での生活がトータル20年に。50歳を目の前に迷った末、「自分を探す旅はある程度完結できた。余生は生まれ育った日本で自由に自分を主張する音楽活動をしたい」と思い切って辞表を提出した。 丁さんは「在日として残された人生をどう生きるのか。考えたとき、われわれにとって矛盾だらけの日本で社会貢献することにこそ意味があると思い至った。これからが第3の人生。日本に生まれた韓国人としての証を発表する時期になると思う」と話す。記念コンサートは秋ごろを予定している。 (2014.3.26 民団新聞9 |