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土台固め、世代の再評価を…国民共有の記憶遺産に
96年に教育部が発行した「社会科探求6‐2」(実験用)に掲載された元義勇軍兵士の葬儀のイラスト

海外同胞の祖国愛も
際立つ「6・25在日義勇軍」

 韓国映画『国際市場で逢いましょう』(原題=国際市場)が5月16日から日本各地で順次公開される。韓国では昨年末に封切られ、歴代2位の観客動員数(1410万人以上)を記録しただけでなく、社会的な影響の大きさからも注目された。

『国際市場』が見せた影響力

 この映画は、6・25韓国戦争の興南撤退作戦で北韓から逃れてきた、いわゆる越南避難民の主人公が釜山の国際市場を主な舞台に、貧しくつらい激動の時代を「家長」として、家族を守るために懸命に生きた姿を描いたものだ。

 韓国が世界の最貧国から「漢江の奇跡」を遂げ、今日の土台をつくった時期を肌身で知る60〜70代にとって、自身の人生を投影せずにはいられないだろう。在日同胞の関心も高く、祖国の発展に献身した自分たちの歴史が国の記録・記憶としても残されるべきだとの思いを募らせている。

 実社会では、後に「産業化世代」と呼ばれるようになった主人公世代に対し、386世代(90年代に30代となり、80年代に学生運動を行った60年代生まれ)が代表する「民主化世代」は価値観の闘いを挑むようになる。社会で重きをなすようになった彼らの多くは、産業化時代を「開発独裁」・「権威主義体制」による負の側面だけからとらえ、まるで「暗黒時代」であったかのように印象づけてきた。

 映画はそんなよどんだ時勢に新たな風穴をあけたと言えるだろう。最近の世論調査で、「韓国戦争以前に生まれた世代が韓国の発展にどの程度貢献したと思うか」の設問に77%が「大きく」、19%が「多少」と9割超が肯定的に答え、しかも世代ごとの偏りもなかった。

 高齢層と若年層の価値観対立の深刻さがしばしば指摘されてきただけに、映画の大ヒットがそうした意識を培ったのか、そうした意識が映画をヒットさせたのかはともかく、価値観の相克を和らげようとする気運の証だとすれば歓迎されるべきだ。

 映画の監督は本紙にも「貧苦の時代を家族のために生きた祖父母、父母の世代の、すべての人に感謝の気持ちを込めた」と語っている。映画から浮かび上がったのは、産業化時代の国の在り方を肯定するか、否定するか、そのような理念的な視線以前に、主人公と同世代の努力が国の土台を固めた事実である。

 『国際市場』は「産業化戦士」の群像劇でもあるといって過言ではない。当時の市井の人々の英雄的とも言えるほどにひたむきな生きざまが感動を呼んだのだ。劇的な発展を遂げてきた韓国にあって、そうした英雄を数えたらきりがあるまい。名もなき英雄の踏ん張りにスポットを当てることで、理念葛藤を突き破る生きた歴史の共有を広げるべきだろう。

 韓国は63年から77年までの間に、鉱山労働者約8000人、看護師約1万2000人を旧西ドイツに派遣した。最貧の韓国に商業借款を提供してくれたのは西ドイツだけだった。韓国は鉱山労働者5000人、看護師2000人の派遣を約束し、その賃金を担保にしたのがはじまりだ。労働者には高学歴者多数を含む応募者が殺到、競争率は10倍を超えた。『国際市場』ではこれも大きな意味をもった。主人公の生涯の伴侶は西ドイツで出会った看護師である。

 「世界は当時、『韓国経済の再建は、ゴミ箱にバラを咲かせるようなもの』と言っていた。私たちも生きるために志願した。64年に朴正熙大統領夫妻が来独し、粉塵にまみれた私たちの黒い手を握り『無事に作業を終え元気な姿で帰ってきてください』と声をかけてくださったとき、皆が涙をこらえきれずに泣いた」

 韓国派独坑夫総連合会の会長が5年前、派独47周年を期してソウルに集まった300人を前にこう語ると、あの日、大統領が泣いていたことも思い出され、皆がみなすすり泣いた。

 民団幹部たちは、民主平和統一諮問会議海外地域会議など在外同胞が集う場で、在ドイツ韓人会のメンバーと席を同じくする機会も多い。ある幹部は「苦労に光が当たってよかったと、彼らに衷心から言ってあげたい」と語る一方、「韓国はこれを機に、無条件の祖国愛で国の発展に尽くした在外同胞の歴史を再評価すべきだ」と強調する。

在日の貢献史を韓国の教科書に

 民団はこの2月の第69回定期中央委員会で採択した活動方針に、「本国の教科書に在日史を記載するよう求めていく」ことを初めて盛り込んだ。6・25韓国戦争に参戦した青年学徒義勇軍、輸出産業育成・セマウル運動支援、88ソウル五輪支援、97年IMF危機時の外貨送金運動など材料には事欠かない。

 民団は政府要路訪問時などに、在日史の教科書記載を要望したことがある。大統領をはじめとする歴代政府要人は必ず、「在日同胞は祖国の危機に際して全力で支援してくれ、困難克服と国力回復に大きく貢献してくれた。国の誇りであり、その恩義は決して忘れない」(朴槿恵大統領。13年8月、民団代表団に)と語ってきた。

 しかも、教科書記載は実現していないとは言え、可能性がなかったわけではない。教育部が96年に発行した「社会科探究6‐2」(実験用)に、「祖国が呼ぶ」と題して「在日学徒義勇軍」が2ページにわたって記載された。葬儀のイラストと義勇軍初の実戦となった仁川上陸作戦の写真2枚もある。

誇らしい歴史に胸をふるわせた

 ハラボジの葬儀に「在日学徒義勇軍同志会」から弔花が届き、戦友が日本からも訪れた。その一人が孫娘に、「祖国が危機に瀕するのを黙過できず、日本各地の大学生たちが義勇軍を組織した。君のハラボジも行動をともにしたんだ」と話す。孫娘は、「戦争が起きると海外に避難する人が多いのに、逆に祖国の戦争に義勇軍を組織し参戦した誇らしい歴史があったことを知り、胸をふるわせた」と書かれている。

 これは「実験用(見本本)」の域を出なかったのであろう。教科書になったことは確認されていない。胸をふるわせるに十分な記述内容だっただけに残念だ。しかし、教科書に載る寸前までいったことは間違いなく、民団の努力に当局が応える可能性は決して小さくないだろう。

 在日義勇軍として参戦したのは642人。うち135人が戦死した。日本に帰還できたのが265人。国内に残留したのは242人を数える。サンフランシスコ講和条約の発効(52年4月)により主権を回復した日本が、「許可」なしに出国したことを理由に再入国を拒否したからだ。記述に登場したハラボジもその一人だろう。

 「実験用」の末尾にあるコメントには、「イスラエルの「6日間戦争」(67年6月)時の義勇軍と対比してみようとある。国際社会の一般常識では、在外国民の参戦としてはこれが世界初とされている。しかし、その12年前に在日青年学徒義勇軍は存在したのだ。しかも、短期決戦で終わった「6日間戦争」とはちがい、3年1カ月にわたる先行きの見えない激戦に身を投じたのである。

 支配国・日本にあって国亡き民の悲哀を知り尽くす在日同胞にとって、よちよち歩きでもやっと手にいれた掛け替えのない国を、二度と失いたくない、故郷を守りたい、との決意が何よりも勝ったのだ。この事実は世界史的にも特筆されるべきだろう。民団は、義勇軍の精神を今に受け継ぐことを改めて確認しながら、全韓国の記録・記憶として刻む努力を継続する考えだ。

(2015.4.29 民団新聞)
 

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