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秋夕(旧暦8月15日)と言えばチェサ(祭祀)。名月を愛でる余裕のない同胞家庭も少なくない。こだわり派もいれば柔軟派もいて、チェサに臨む姿勢はさまざまだ。世代交代は進み、国際・越境結婚も増えた。価値観の多様化はチェサの風景を少しずつ様変わりさせている。
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しきたり柔軟に
先祖敬う気持ちは変わらず
日本人オモニ意地で守った
民団佐賀県本部の鄭清俊団長の母親は日本人だ。「オモニは在日韓国人として生きると決めた人。日本籍から韓国籍にしました。『日本人だからしっかりしないと』というプレッシャーがあって、チェサには大変な苦労をしたと思う。意地でやった部分がある。在日のお年寄りやアボジに聞きながら形から入った。形式は混じり合っているから、それが伝統かどうかは分からない」
鄭家のチェサは1年に3回、関係者が集まりやすいよう新暦で行う。供物の種類や配列はオモニが学んだものを基本に、韓国で生まれ育った妻の意見も取り入れた。鄭団長自身も関連図書から多くを学んだ。
料理作りは女性たちと相場が決まっている。だが、鄭団長は肉、妻はナムル関係、姉は揚げ物といった具合に、鄭家では各自に担当がある。「順調にいってます」とのことだ。
手順と様式も臨機応変にと考える。「例えば、供物は奇数を基本にしているが、3つは作れないけど、1つは寂しいから2つにしたというその気持ちが大事」。オモニが試行錯誤しながら作りあげたチェサ。「祖先とのつながりを持てたのはオモニがいたから。盆、正月に飾り付けしたのをオモニが見て、喜んでくれると続けてきて良かったと思う」
10年間も重圧 新妻は悩んだ
夫ともども結婚して初めてチェサを始めた2世の李仁秀さん(東京・荒川区)。「20歳でお嫁に来たとき、チェサの1カ月前からノイローゼになりそうだった。夫婦で手探りの状態だった」
チェサは1年に10回。当日は親戚も集まる。李さんは「ちゃんとしなきゃ」というプレッシャーがなくなるまでに10年かかった。「チェサをやるために結婚したんじゃない」と、本心ではない言葉を夫にぶつけたこともある。
「結婚当初は家計にも余裕がなかった。チェサ当日に、やらなくていい喧嘩をしたこともある。でもそれも一つの生き方。それがあったから今がある。法事が嫌いだったんじゃない」。夫の金正雄さんは振り返った。夫妻共通の思いは「先祖を大事にする気持ち」だ。「経済的に余裕がなければ線香、花、果物だけでもいい」と李さん。
「祖先がいたから自分がいる。韓国の文化、歴史は先祖が守ってきたもの。自分たちが否定すればそこで、歴史が切れる。子どもにもやはりルーツは大切にして欲しい」と正雄さんは話す。
韓国人らしさ自覚をする時
「皆が顔を合わせる数少ない場です」。先祖供養はもちろんだが、家族、兄弟のつながりが一番と話すのは、東京・品川区の呉知子さん。1年に3回のチェサと墓参りは欠かさない。「チェサは大変ですが、これは女の特権。男の人にはできないから」とも強調した。
結婚当初、「しきたり」の違いに驚いた。実家では、普段とそう違わない料理を供物にしていた。だが、夫の金昭男さんの家では、ニンニクと唐辛子は一切、使わない。「料理を食べても美味しくない。それに実家では女性が供えても平気だったのに、こちらでは男の人が供えると聞いて、こんなに違うのかと思った」
昭男さんは「チェサは民族を奮い立たせるもの。自分が韓国人だということを自覚する」と話す。「アボジもそういっていた。いろいろな思いが去来する。だからこそ、この伝統は継承していってもらいたい」。2人にとって心強いのは長男が「チェサをやっていく」と話していることだ。
「規模が小さくなっても仕方がない。でも、この伝統を継承しなければ、日本にいる在日の韓国人らしさがなくなってしまう。だんだん意識が希薄になっていくのも確か。どこまで受けついでもらえるのか」。そんな不安もよぎる。
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「1カ月前から憂うつ」
負担が大きく気重い女性
結婚14年になる在日3世の秦綏莉さん(東京・武蔵野市)。夫は4人兄弟の次男。チェサはシオモニ(姑)の家で執り行う。「憂うつです。1カ月前から『またくる、くる』という感じ。2日間泊まり込んで、準備します」
秦さんはチェサの形式にあまりこだわらない家庭で育ち、婚家で初めて、本格的なチェサを経験した。
「とくに正月は、食事のことだけで疲れます。気持ちの問題なので、簡素化してもいいと思っている。自分たちが食べるものを置くくらいでいいのでは」
ため息をつくほど、女性の負担は大きいと感じている。でも、伝統のしきたりや料理を覚えたのも事実。「シオモニも口うるさくないから、そういう意味では幸せ」
伝統少し変え1〜4世集合
秦さんと同じ在日3世の民団東京・目黒支部の鄭良洙支団長は、昨年、体調を崩した父親に変わってチェサをすることになった。1世から4世まで親戚を合わせて10人前後が集まる。
昔は忌祭祀を午前零時にスタートさせ、夜中の3時ごろにかけて行ってきた。でも4、5年前からは子どもたちの学校の問題があり、夜8時ごろから始めるようになった。「今までやってきたことからそれずに、親戚の方々が来やすい環境作り」を心がける。
以前は子どもたちが食べたいからと、出前の寿司や刺身を出したこともある。「それぞれ家のやり方があっていい。チェサは心の問題だから、形式にとらわれなくてもいいと思う」
気心が合わずギクシャクも
チェサを裏で支えるのは女性たちだ。買い出しから料理作り、チェサの儀式が終われば、集まった男性たちの飲食の準備と息をつく暇もない。だが、この大変さも女性たちの気心が通じていれば問題はない。なかには、そうではない嫁同士の関係もある。
末っ子と結婚した都内在住の60代の女性のケースがそうだ。長男が遠方の地方暮らし。チェサがあっても、なかなか出向くことができない。次男の家でチェサをやることになったが、その嫁が自分中心で家族以外にはいい顔をしない。
「手伝おうとしても心を開かないし、嫌な顔をされる。行けば不愉快になるし、小間使い的な感覚で扱われるので次第に疎遠になった」
仏壇を置いてもっと身近に
日本の暮らしも長くなり、もっと祖先を身近に感じ、大切にしたいという思いから、仏壇を置く家庭も増えた。婦人会京都本部役員の河久子さん、金昭子さん、郭敬條さん、李愛子さんはいずれも、チェサを行いながら仏壇を置いている。
金さんは若いころ、舅と姑と1日違いのチェサを行ってきた。料理を別に取り分け、午前零時にまた新たにチェサを始める。「若い人は辛抱できず、居眠りする人もいた」。仏壇は「亡くなった方がそこにいるということで、朝一番にご飯と水を供え、旅行のお土産を供えたりする」という。また河さんは、夫の母親を早くに亡くした。経済的に一人前になったとき、母親のことを思って仏壇を置きたいと考えてきた。
李さんは「灯明をともし、お題目をあげるだけで気持ちが穏やかになる」と話し、郭さんもまた、毎日、水を替えることを忘れない。4人とも、チェサ以外の日々の生活のなかで祖先を思う気持ちを大切にしている。
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子孫の和合 真心を大切に
1994年に刊行の「知っておきたい祭祀」(関西済州道民協会)著者で、元民団大阪本部文教部長の金容海さんは、チェサには料理も開始時間も、一つひとつに意味があると語る。
「例えば、供物の梨やリンゴの上を切るのは、先祖に香りでこれはリンゴ、これは梨だと教えるため」という。本来、「チェサは子孫の和合、安否を確認していくという意味がある。子どもや孫が多く参加することで先祖たちも喜びます。一番大事なのは真心です」
(2009.9.30 民団新聞)
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