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また進化、愛される男…10年ぶりチョー・ヨンピル

世代つなぐ象徴に

 「釜山港へ帰れ」の大ヒットで、歌手として不動の地位を確立したチョー・ヨンピル(趙容弼、63)が4月23日、10年ぶりとなる19枚目のオリジナルアルバム「ハロー(Hello)」を発売した。「枠のなかで止まっている自分自身から脱皮したかった」と、これまでの音楽スタイルを捨て、海外の音楽家に曲を依頼。ポップあり、モダンロックありの楽曲を歌い上げる声は、年齢を感じさせない。特筆すべきは、中高年層のファンに加え、K―POP世代である10・20代の若者にも人気を集めていることだ。「世代を超えて愛される」歌は、韓国で共感を呼んでいる。

 アルバムに収録された「バウンス(Bounce)」が、「江南スタイル」で世界的にヒットした歌手、PSYの新曲「ジェントルマン」を抑え、韓国内の各種ヒットチャートで1位を獲得したことにとどまらない。米ビルボード・ドットコム(4月28日)が「チョー・ヨンピルは韓国歌謡界における生きた伝説」「彼は韓国歌謡界の頂点を極めた」「韓国のマイケル・ジャクソンとも呼ばれている」などと詳細に報じ、熱い視線を向けていることにも驚かされた。

 チョー・ヨンピルは「歌の王」「永遠のオッパ」「小さな巨人」などと呼ばれ、常に注目を集めてきた。彼を韓国歌謡界の頂点に押し上げたのは、空前のヒットとなった「釜山港へ帰れ」(75年)。

 日本では82年にデビュー。在日韓国人の後押しもあって「釜山港へ帰れ」は大ヒットした。83年に渥美二郎が日本語歌詞で歌って以来、日本の歌手たちのカバーが続いた。日本人の心をつかんだこの曲は、当時、カラオケでも好んで歌われた。韓国語版を韓国語で歌いたいという日本の人たちが、韓国語を学ぶきっかけにもなった。

 70年代後半、チョー・ヨンピルより一足早く日本デビューし、韓国の女性として初めて成功したのが李成愛。代表曲「カスマプゲ」は、愛しい人との別離を情感を込めて歌い話題になった。有線放送にリクエストが相次いだ。李成愛の成功は、後に続くチョー・ヨンピルやナ・フナ(羅勲児)らの日本進出の土台を築いたと言っても過言ではないだろう。

 李成愛を凌駕するチョー・ヨンピルの歌声は、多くの日本人たちを驚かせた。並外れた歌唱力と声量、音域の広さは、韓国では「チョーを超える歌手はいない」と言わせたほど。70年代後半、山にこもり、滝に打たれながらパンソリの発声練習を重ね、パンソリに必要な「得音」(音色や発声技法)を体得した。その歌唱法が最も生かされたのは韓国民謡の「恨五百年」だろう。

 在日韓国人にとって「釜山港へ帰れ」は、特別な思い入れがある。特に2世たちには、植民地時代、釜山港を後にした1世たちやルーツである故郷へ愛惜の念を募らせていたのだ。

 チョー・ヨンピルは常に挑戦し、進化し続けてきた。K―POPの若いアーティストたちにとっては憧れの大先輩であり、雲の上の存在だ。10年ぶりの復活は、彼らをも熱狂させた。

 これまでも歌唱力で勝負してきた歌手たちは、チョー・ヨンピルの曲を好んで歌ってきた。生まれ変わったチョー・ヨンピルは、世代間の葛藤がなにかと問題になる韓国にあって、世代を共通の価値観でつなぐ力を見せている。

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「友よ」挑戦にエール…「韓日に音楽の橋を懸けよう」
音楽家 谷村新司

 1984年「PAXMUSICA(パクスムジカ=音楽による世界平和の意)」東京の後楽園球場のステージに固い絆で結ばれた3人のアーティストが立っていた。アジアを音楽で繋げたい…。そんな想いを受け止めてくれた香港のアラン・タム、そして韓国のチョー・ヨンピルと私が初めて一緒に歌った夜だった。

 次世代の若者達が国境を越えて手を取り合っていけるように…。そんな私の願いを特に感じてくれたヨンピルとの思い出は数え切れない。

 韓国人のシンガーとして初めて香港コロシアムのステージに彼を立たせてあげたいと思った私とアランは広東語で「チングヨ(友)」という曲をヒットさせて彼を迎えよう! と計画し、その歌は香港の人達がヨンピルを注目するのに充分な大ヒットとなり、当日は大歓声が彼のステージに花を添えた。

 1988年、ヨンピルは私とアランを88体育館でのPAXMUSICAの舞台に迎えてくれた。3人それぞれの国の言葉で歌う事をテーマにしていたが、当時の韓国ではまだ公共の場で日本語の歌を歌う事が出来なかった。

 その時に彼が言ってくれた言葉は今も忘れる事ができない。「お兄さん、ごめんなさい。日本語で歌ってもらえる日が1日でも早く来るように頑張ります!」そう言った彼はステージ上で私の「昴」を生演奏してくれた。

 おそらく当時の韓国では初めて、公の場で日本人の作品が流れた瞬間だったと記憶している。日本と韓国に音楽の橋を懸ける。これが後のヨンピルと私の大きなテーマになっていた。

 現在ではK―POPや、韓国のドラマが普通に日本人に受け入れられ、多くの人が韓国を訪れるようになった。その事を誰よりも喜んでいるのはヨンピルに違いないと私は思っている。

 3人で次世代の踏み台になろうと誓い飲み明かした夜の酒の味は、今も忘れていない…。国境を越えたかけがえのない友の「10年振りの新たなる挑戦」に、心からエールを送りたい。

(2013.5.8 民団新聞)
 

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