民衆の芸術を守り研究 顕彰し韓日共同制作 植民地統治下の韓国で、日常の生活用品や民芸品に固有の美を見いだした「日本で最初の韓流ファン」浅川巧を顕彰する韓日共同制作映画「道〜白磁の人」(高橋伴明監督)が6月、東京の新宿バルト9などで公開される。 原作は江宮隆之の伝記小説「白磁の人」。浅川巧の生誕120年、没後80年を記念して映画化される。 両民族が厳しい対立関係にあるなかで繰り広げられる巧(吉沢悠)と李青林(ペ・スビン)の熱い友情を軸に、激動の時代を重厚なタッチで描く。植民地の韓半島を本格的に描いた日本映画としても注目されている。 製作委員会の小沢龍一事務局長は「韓日関係を含め、東アジア全体の未来につながる次世代に示したいという思いを込めた」と話している。 制作費は3億2000万円。文化庁が2000万円、外国映画を対象に助成制度を設けたばかりの半官半民の韓国映画振興委員会(KOFIC)が4億2000万ウォン(約2700万円)を助成した。 「道」は別の中国作品とともに助成第1号に選ばれた。第7回大阪アジアン映画祭(3月9〜18日)のオープニング作品にも選ばれた。 映画で民芸運動の祖、柳宗悦は巧を「白磁のような人」と語っている。同じ人間として、人を理解しようとする時、巧の生き方は大きなヒントになるだろう。 民芸運動にも強い影響与え 巧は1891年1月、山梨県の現在の北杜市高根町に、農業兼紺屋(染物屋)の如作と、けいの次男として生まれた。父は巧が生まれる半年前に亡くなった。祖父が父親代わりになって兄弟を育てたが、巧が10歳の時に世を去り、7歳年上の兄、伯教が面倒を見た。 巧は山梨県立農林学校に進学。1914年に韓半島に渡り、朝鮮総督府農商工部山林課林業試験所の職員として働いた。 「自然法に帰せ、それより道はない」という哲学のもと、赤土がむき出しになった山林を緑化復元。工芸品については「使用者こそが仕上工」だと述べ、柳宗悦に多大な影響を与えた。1924年、柳とともに民族博物館を設立し、自らも朝鮮の膳文化を研究するなど、陶磁器、木工品について名著を残した。 植民地時代に篤い追悼の列 1931年4月2日、急性肺炎で40歳の若さで生涯を終えた。豪雨の中での葬儀では、追悼する韓国人が競って、里門里の共同墓地までその棺を担いだと伝えられる。 (2012.2.22 民団新聞) |