外国人作家の翻訳図書では異例の初版10万部を記録した米国をはじめ、欧州、アジアなど世界29カ国で版権が販売された韓国人女流作家、申京淑さんの長編小説『母をお願い』（日本語版）が16日、集英社から発売される。普遍的な母の愛を描いたこの小説は、各国で大きな共感を呼んでいる。

失踪で知る「存在感」
戸惑いと後悔の家族を描き

　突然、母親が行方不明になったら、あなたたち家族はどうしますか。

　平凡な家族に起こった予期せぬできごと。家族は四方八方、思いの限り手を尽くして母親探しを始めた。

　『母をお願い』は、ソウルに上京した際、失踪してしまった母を探すために、チラシを作る家族の描写から始まる。「（お母さんは）電話のかけ方も知らないの。公衆電話を1回かければ済むことじゃない」。事情を知らない兄嫁は素朴な疑問を声にする。でも家族は知っていた。痴呆症である母がどんな状態であるか。これっきり戻って来られないこともあり得るということも。

誰にも共通の母の姿を見た

　この小説は残された家族が母の失踪後、今まで注がれてきた愛情と、母の不在によって初めてその存在の大きさを知る様子が、章ごとに長男、長女、夫などの視点から描かれる。

　母を母としてのみ思い込んでいた子どもたち。誰よりも家族の幸福を願い、自分を犠牲にしてまでも、家族を支えてきた忍耐強さ、愚痴をこぼすことも控え、淡々と日々の仕事をこなす母。でもそんな母にも幼かった時があり、一人の女性としての思いも持っていたことを子どもたちが知ったとき、母の人生がくっきり浮かび上がる。

　この小説は、韓国で2008年11月の刊行以来、180万部を突破したベストセラー。また、4月初旬に英語版が発売された米国では10万部を初刷りし、すでに8刷を重ねている。

　現在、ニューヨーク・タイムズのベストセラー14位にランキングされている。これまで韓国系米国人の小説がランキング入りしたことはあるが、翻訳された韓国小説がベストセラーに入ったのは初の快挙だ。イスラエルでベストセラー2位に食い込み、台湾でもベストセラー入りした。米国で刊行したのは文学専門出版社で、日本人作家、村上春樹の作品も手がける「クノープ社」。

「敬老孝親」を独自の視点で

　海外でこれほどまでに受け入れられたのは、誰にも共通する「母」の姿がそこにあるからだろう。忙しさにかまけて、母への連絡をおろそかにしたことはないか。面倒臭いと言って、会わずにいたことはないだろうか。誰にも同様の経験があるはずだ。

　老母に照明をあてたのはこれまで、社会的弱者や忘れ去られた人たちの内面的な孤独感、死を描いてきた申さん独自の視点から。韓国にはこれまで、「孝」という考え方が強くあった。韓国社会の根幹を成し、高齢者たちはこの精神によって尊敬され、手厚くもてなされてきた。だが、急速な少子高齢化や社会経済的な影響などにより、「敬老孝親」という儒教的精神は崩れつつある。

　韓国では高齢者の2人に一人が貧困状態に陥り、3人から5人に1人は体への苛め、扶養の放棄など、何らかの虐待を受けているという。さらに75歳以上の高齢者の自殺率は、10万人のうち160人。経済協力開発機構（ＯＥＣＤ）加盟34カ国中、最も高い。これが、韓国高齢者たちの置かれている状況だ。

　失って初めて、何が大切であったか気づかされることは多い。いつもそっと寄り添うように、傍らにいてくれた母。その母が突然消え、戸惑いと後悔の念が交差する。母の生き方とは、自分にとっての母とは。この物語を通してもう一度、母という存在に思いを馳せてほしい。申さんはこの小説を手がけた動機を書き記している。

　「今日のわたしたちの背後で、抜け殻のようになって立っているわたしたちの母が成し遂げてきたことなどを、どのようにしてすべて数え上げることができようか。その胸痛む愛と情熱と犠牲を、復元してみようと心を砕いてみたに過ぎない。それによって埋もれている母たちの人生が、幾らかなりとも社会的な意味を持つことを願う」

（2011.9.7　民団新聞）