Home > ニュース > 文化・芸能 |
| 『金洙暎全詩集』(尹大辰・韓龍茂共訳、「彩流社」、2009年11月、4700円+税) | 現代史の深淵色濃く
懐疑的な知的操作
金洙暎(1921年〜68年)は、金素月、尹東柱らについで、金芝河らと並ぶ屈指の韓国現代詩人である。金芝河とともに独裁の時代を批判的に生きて「抵抗詩人」と呼ばれる。けれども、両者の詩風にはかなりの違いがある。
叙情詩人として出発した金芝河は、その風刺詩においても本質は最後まで叙情的だった。悲しみや怒りをまっすぐに押し出していく。だから、彼の抵抗詩は誰にも分かりやすい。それだけに訴える力は強く、きびしい弾圧の対象ともなった。
挫折と屈辱の経験に根ざす
一方、早くから知的モダニズムの方向に進んだ金洙暎の詩は、徹底的に諧謔的であり難解である。一切の情念が懐疑的な知的操作を通じて分解され、ニュートラルな形に再生されて出てくる。 金洙暎が選び取ったこのような方法は、その若年の時代における挫折と屈辱の経験に根ざしているものと思われる。
14歳の金洙暎は、普通学校の6年の学業をずば抜けた成績で終えながら、卒業間際に腸チフスによる療養生活をよぎなくされ志望校の受験に失敗、夜間学校に入学している。代々、高位高官に名を連ねた両班家の御曹司の最初の挫折である。当時、総督府による土地調査事業のあおりを受け、土地の大部分が失われて没落の過程にあり、やがては満州に移住することになる。
東京留学を終えて延禧専門英文科に編入する過程で、演劇から詩文学へと関心が移る。結婚したその年に韓国戦争が勃発。左派文学者と親交のあった彼は、ソウルに侵攻した人民軍に文化工作隊員として徴発される。国連軍の反攻と平壤占領の混乱の中、脱出してソウルへ戻るが、逮捕されて巨済島の捕虜収容所に送られた。幸いにも、収容所内のアメリカ野戦病院の通訳官となり、ようやく釈放される。運命に翻弄された第二の挫折である。
1960年の4・19革命とともに、金洙暎の独特な知的モダニズムは反体制文学の最前衛として初めてその活躍の場を得る。
近代国家として間がない韓国の市民的社会空間は、4・19によっていっきに拡張された。韓国が選択した体制にふさわしい民主的上部構造を確立するための苦闘の歴史の、最初の決定的な一撃だった。みずからの問題をみずからの手で解決しようとする韓国国民の自立的・批判的精神風土は、この時にしっかりと大地に根を下ろしたのである。
「絶唱」は今も人々に愛され
金洙暎はこの時、「革命を最後まで成し遂げよう」(「祈り」、1960年5月)と叫び、「革命はならず」(同年10月)と現実へのいらだちを詠った。また、61年の5・16軍事革命後の開発独裁の時期にも、難解詩による諧謔的方法を駆使して現実を批判、風刺詩による抵抗を続けたが68年、交通事故で没した。
「空が曇ると草が地に伏す/足首まで/足元まで地に伏す/風よりおそく地に伏しても/風より先に立ち上がり/風よりおそく泣いても/風より先に笑う/空が曇ると草の根が地に伏す」(「草」、1968年5月)
この詩は死ぬ前の月に書かれた絶唱である。今も人々に愛唱されていて、生涯に残した200余りの詩篇のうち数少ない「わかりやすい詩」のひとつだ。
尹大辰氏と韓龍茂氏の協同による翻訳は、原詩の難解さにもかかわらずその意味をよく伝えている。日本語による初めての金洙暎全集として、評価に値する労作だ。時代的制約のゆえに詩人金洙暎の世界認識のすべてが正しいとは言えないとしても、私たちはこの全集を通じて現代韓国史を織りなす深淵の一つをのぞき見ることができる。
金一男(韓国現代史研究家)
(2009.12.23 民団新聞)
|
|
|
|