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<話題の書>戦争ごっこ…島の激動リアルに
(玄吉彦著/玄善允・森本由紀子訳/岩波書店/定価2700円+税)
大阪で講演する玄吉彦氏(9日、民団生野中央支部で)

実体験もとに少年の目で

 この作品は、太平洋戦争末期から祖国解放、4・3事件、大韓民国建国、6・25韓国戦争と続いた激動の時代を、漢拏山の西北に位置する海岸沿いの村を舞台に、主人公の数え7歳から13歳までの眼差しで描いた。主人公は作者の分身であろう。

 主人公セチョルは裕福な家の末息子として家族の情愛を一身に受け、遊び仲間にはガキ大将として君臨する。聡明でやんちゃで妥協を知らない彼は、遊び仲間から見れば、無視のできない、鼻持ちならない存在であったに違いない。

 父は町役場の書記であり、祖父は日本軍に馬を30頭も差し出した。日本兵として戦死した叔父は「軍神」としてあがめられている。「日本軍」と「米軍」に分かれる「戦争ごっこ」で、正義で不敗と信じられた日本軍の将校役はいつもセチョルのものだった。解放後は状況が一変、一家は「親日派」として厳しい視線にさらされる。

 ある日の夜、町長になっていた父が男たちに連行され、5日後、海岸で両手を縛られた遺体となって見つかった。4・3事件の勃発だ。セチョルが敬愛した教師、セチョルを弟のように可愛がってくれた兄の親友もパルチザンになり、兄は復讐の鬼と化していく。

 家を焼かれ、人命・財産を奪われた住民たちは、「パルチザンを殺せ!

 その親も殺せ!」と叫ぶ。住民は派出所や学校に背丈の2倍もある石垣を造ってたてこもり、パルチザン掃蕩のため毎日のように漢拏山へ向かう。「戦争ごっこ」は「共産ゲリラ」対「討伐隊」の構図に変わり、セチョルはいつも「討伐隊」を率いる。

 著者は残酷な現実を子どもの目で切り取ることで、イデオロギーを排して4・3事件に再接近した。理念葛藤の添え物として一方を叩く「武器」にするのではなく、済州道の「傷」、韓国現代史の「負債」として共有し、語り継ごうとする強い意思が読み取れる。

 本作は、『戦争ごっこ』(01年)、『その時ぼくは十一歳だった』(02年)、『クギ跡』(03年)のそれぞれ独立したタイトルを持つ3巻本をドイツ語に翻訳、出版(04年)するにあたって1巻にまとめ、プロローグとエピローグを書き加えた韓国語版(書名は『クギ跡』)が底本になった。

 著者・玄吉彦氏は1940年に済州島で生まれそれからの40年を過ごした。済州大学で教鞭をとりながら小説執筆を続け、40歳の80年に文壇デビューを果たす。それと時をほぼ同じくして、ソウルの漢陽大学教授に転じ、03年に退任した。

 緑園文学賞(85年)、現代文学賞(90年)、大韓民国文学賞(92年)を相次いで受賞した力量ある作家として、済州島の伝説や民話、韓国近現代文学の研究家としても知られる。また、季刊誌『本質と現象』を主宰する言論人、「平和の文化研究所」を拠点に社会文化活動を精力的に展開する行動の人でもある。

 「(私は)済州事件は済州の人たちをして、たくさんの物語を作らせ、その事件で受けた苦痛も語ることによって克服されるという仮説を得ることになりました。語り部たちにとっては、物語ることそれ自体が大切であって、そこから何らかの価値や意味などを得ようとするのではない。小説を書きながらそんなことを考えるようになったのです」

 著者の教授退任記念講演の結びの言葉だ。4・3事件の体験者、それも加害者と被害者の線引きが難しい境遇におかれた一人として、済州道の特殊性を媒介に分断された民族の悲憤を語り韓国現代史が産み落とした理念葛藤の傷を治癒する小説を数多く手がけてきた彼らしい言葉であろう。

■□
「過ち認め合ってこそ」著者・玄吉彦氏招き講演会

 玄吉彦氏を迎えての講演会が9日、民団大阪・生野中央支部会館で開かれた。玄氏の作品を読んだ済州道出身の団員たちから「肉声を聞いてみたい」との要望があり、大阪本部の李正林顧問を中心に準備した。地元団員や大阪本部幹部、花園大学元教授の姜在彦氏、済州道研究会の梁永厚会長ら50人が参加した。

 中央支部の玄勝一顧問は「書籍よりとてもリアルで、当時の悲惨さが目に浮かぶようだった」と語り、本部の洪性仁常任顧問は、「政治的な主張の強い本が多いが、講演は自身の体験をもとに客観的に評価していると思う。4月3日を道民皆が平和のための日として迎えられることを願っている」とコメントした。

 講演要旨は次の通り。

 「保守」・「進歩」の対立が激しい祖国を、皆さんも心配していると思う。そうした理念葛藤において、4・3事件は大きな比重を占めている。事件はなぜ起きたのか。なぜ済州島だったのか。

 左派勢力を結集した南朝鮮労働党(南労党)は、本土では衰退したが、済州島では支配的な勢力だった。4・3事件は、南労党が5・10単独選挙とその後の大韓民国建国を阻止するとともに、済州島を党勢回復と革命の橋頭保にしようと画策した暴動以外の何ものでもない。

 鎮圧過程でなぜ、悲劇は避けられなかったのか。済州島の治安部隊のなかにも南労党の細胞があるなど、治安維持能力は脆弱だった。本土から治安部隊だけでなく、38度線以北から逃れてきた反共意識の強い西北青年団が増派され、凄惨な鎮圧行為が発生した。

 南労党は以南での単独選挙を阻止しようとする一方で、「朝鮮民主主義人民共和国代議員」を選出する地下選挙を7月に実施している。以南全域で参与率が5%だったこの地下選挙で、済州島は85%の高率だった。強制されたからだ。

 5人の済州道代表が黄海南道・海州で開かれた人民代表者会議(48年8月21〜26日)に参加している。南の政府樹立は武装暴動で阻止しようとしながら、北の政府づくりには積極参与したのだ。4・3事件が単独選挙・分断阻止を目指したというのは事実ではない。

 武装暴動だからといって無慈悲な鎮圧は正当化されず、過剰鎮圧を理由に4・3事件を合理化することも許されない。過ちを認め合ってこそ和解と共生ができる。事件を理念的に美化しては問題を解決できない。

(2015.4.22 民団新聞)
 

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