掲載日 : [2018-09-03] 照会数 : 6701
【寄稿】「分断管理」と「民族統一」…金一男(韓国現代史研究家)
◆持つことはできても捨てることはできない
政治的状況というものは一つの客観的現実であって、いかなる独裁的権力もこれを思い通りにはできない。北は、そもそもの初めから「核強国」を目指したわけではない。
平壤政権が1980年代から核兵器開発を本格化したのは、当時、南北の経済的力量が逆転し、軍事的優位も失われたからだった。
本来、北が予定した進路としては、社会主義による経済的繁栄によって南を圧倒し、南の革命勢力を「主体思想」のもとに結集して、平壤政権の指揮下に南北を統一することだった。だが、1950年の軍事的南侵が失敗したように、この「千里馬路線」もその主観主義的本質のために失敗に帰した。北に経済的繁栄は実現されず、南に主体思想は浸透しなかった。
この段階で、通常兵器の立ち遅れを核兵器で挽回する必要が生じ、「やむなく」核開発に転じたのだった。
しかしながら北のこの行動は、南は米国の傘の下で、北は中国の傘の下でという、新冷戦下の極東の安保体制に不確定要素を持ち込むことととなり、ますます北を苦境にさらした。中国が米国と同じように行動することはないだろうが、中国が北の核武装を望んでいないことだけは確かだ。
それでは、ミサイル開発とともに核開発をほぼ終えた今、北はその指導者の意志一つで核兵器を簡単に捨てることができるであろうか。答えはノーだ。北の同胞は、何十年もの間、「先軍政治」による「核強国」の建設という朝鮮労働党の夢物語を聞かされながら、むごたらしく苦難の生活を強いられてきた。一朝にして「核はいらなくなった」と言われたら、どう納得すればいいだろうか。
◆半分を捨てて半分を残す、グレー・ゾーン
核開発路線が歩留まりになってからの平壤政権は、核開発と経済建設の「併進」をうたった。ここで「歩留まり」というのは、核兵器は結局のところ使えない兵器であって威嚇効果に限界があり、また関係諸国の学習効果のために核危機を利用した大規模援助の取りつけも難しくなったことを意味している。
だが「経済建設」の実態は、鉱物資源の切り売りと国外派遣労働のピンハネであったし、何よりも、押さえつけてきた住民たちの「闇市場」を黙認することだけだった。その結果として残ったものは、党幹部・軍幹部や御用商人たちと一般住民との貧富格差の極端な拡大だった。
北の「指導者」は、北の同胞に向かっていまだに「核放棄」を語らずにいる。語られているのは「半島の非核化」というあいまいな表現だけだ。はなばなしい「南北融和」と「朝米対話」の宣伝が煙幕になって、そのあいまいさを取り繕っている。。
金正恩氏は文大統領に向かって「核を捨てる」と言ったかもしれない。国際的な対北制裁の締めつけに耐えられず、多分、そう言ったであろう。だからこそ文大統領はその言葉に応えようとしたのだ。
だが、金正恩氏は自国の国民に「核を捨てる」とは言えない。持つことはできても捨てられない。何事も思い通りにはいかないものだ。現在のところ、彼らがめざしているのは「事実上の核保有国」の地位だと考えられる。
国際的な制裁をゆるめるために、半分を捨てて半分を残す「グレー・ゾーン」戦略である。いつでも核兵器を再び持ち出せるようにしておくことだ。そのためには、「非核化」協議をできるだけ長引かせる必要がある。実際に、今のところ「終戦宣言」をめぐって事態はそのように進行している。
◆南北問題の表と裏、「分断管理」と「民族統一」
南北問題には、二つの側面がある。一つは「分断管理」であり、一つは「民族統一」である。「分断管理」は、分断状況による軍事的危機を緩和し、不測の事態による軍事的衝突を回避するための危機管理の努力である。
「民族統一」は、言うまでもなく、南北社会の等質化による政治的社会的統合を意味する。韓国政府の南北融和政策が、「行き過ぎ」と感じられながらも一般に好意的に受け取られてきたのは、南北融和政策が持つ「分断管理」「危機管理」の有効性が認知されたからだった。
だが、「分断管理」と「民族統一」とを短絡し、「融和政策」を直接に「南北統一」作業に結びつけるなら、それは極めて危険だ。
最貧国だった韓国に経済的成功を許したのは、過去の保守政権による「市場資本主義」導入の成功であった。その韓国に政治的民主化を許したのも、過去の指導者たちによる「市場資本主義」推進の結果だった。
市場資本主義は人類の経済的進化モデルであるが、決して「理想的」体系ではないだろう。そもそも理想的な生存条件などというものはこの世に存在しない。
市場資本主義の持つ唯一つの長所は変容の可能性であり、持続的な改善可能性を構造的に持っていることだ。長年の改良を経た市場資本主義は、権力を分散させる機能を持ち、市民的空間に対して親和的だ。
本来の市場資本主義は、国家権力による市民の経済活動への介入を制限する。国家権力が資本総体を完全に握ってしまえば、政治は必ず独裁となる。
平等主義を標榜した社会主義が歴史的に失敗した理由のうち最大のものは、その「計画経済」体系を通じて国家権力が資本総体を掌握し、必然的に専制権力へと変質していったからだった。
権力による「市場の歪曲」がもたらす需給バランスの歪みや非効率はもちろんのことだが、市民生活の末端にいたるまでが国家、すなわち独裁者に率いられた一群の官僚たちの統制下に入ってしまったのだ。
◆市場資本主義と官僚制国家資本主義、似て非なるもの
社会主義的経済体系は、その末期に「官僚的国家資本主義」に変質する。現在のところは経済改革に一定の成功を収めている中国、そしてベトナムがその例である。一見すると「市場経済」のように見えるが、実際に活動している企業の大部分は国家や地方政府の資本によって動かされいる。実は「市場経済」ではないのだ。
純粋な市場経済における資本は「私的」な、あくまでも個人的・市民的な性格のものでなければならない。一つの企業の有力な部分を国家または地方公共団体が保有するなら、そしてそれが一つの国の資本総体の有力な部分を占めるなら、それは「市場資本主義」ではない。経済学的には、国家権力の意志が貫徹された「統制経済」に仕分けされる。
それらの国々では資本が国家権力を握る少数の官僚群に完全に従属している。いたるところに浪費があり、いたるところで国家の統制が貫かれている。時の権力ににらまれたら職場から追い出され、生きてはいけない。乞食をする権利すらない。権力者をほめ讃えねばならない。抵抗すれば監獄が待っている。
核問題を別にして、今の平壤政権が目指そうとしているのは、市場原理とは似て非なる「官僚制国家資本主義」である。この体制が危険なのは、自己修正能力の欠如にある。「選挙」はみせかけで、指導者はいつも同じ顔をしている。そして、彼は根拠なしに「天才」とよばれる。
この体制が悲劇的なのは、軌道修正能力の構造的な欠如のために、権力の生理が貫徹され、暴力的であることだ。倒さなければ倒れない。変革のためにはおびただしい犠牲を必要とする。
わが国の現在の局面が仮に政権与党である民主党の計画通りに進んだとして、北で予見される事態は上に見た通りである。「市場資本主義」と「官僚制国家資本主義」とは、一見似ているようだが水と油であって、南と北の距離は決して縮まることはない。
◆民族統一の夢、持続可能な改革努力を
「分断管理」と「民族統一」とは、まったく異なるカテゴリーと考えなければならない。南北統一問題にはさまざまな方法論がある。北側が、南北の体制を固定化したうえでの「連邦制」を主張してきたのは周知のことだ。
だが、南北がそれぞれの体制を維持したまま米国または中国との同盟を破棄して単一国家の体裁をとるなら、いずれ内戦につながることになるだろう。
民族統一の唯一の目標は、南北の全同胞が参加して国の形を決定する「自由統一総選挙」の実現にある。「自由統一総選挙」を経ない民族統一の構想はニセの民族統一構想であり、実施に移せば将来に重大な禍根を残す。
「分断管理」の作業はただちに民族統一につなげられるものではない。「分断管理」次元の作業は、あくまでも平和確保の努力に限定される。もしも性急な趣のある現政府がさらに速度を上げ、「分断管理」と「民族統一」とを具体的な国民的合意なしに強引に結びつけて進むなら、必ず国民の猛烈な反発を受けることになる。われわれはいずれ再び悲劇の政権を見ることになるかもしれない。のみならず、その失政によってわが民族が受ける打撃は計り知れない。
韓国の経済的発展と民主主義こそは民族統一のかけがえのない担保である。けれども、貿易依存度が60%を超え、国内需要がいまだ未成熟な韓国経済の足腰はさほど強いものではない。アジア通貨危機、リーマン・ショックと、うち続く困難をぎりぎり乗り越えてきたのが実情だ。
もしも、過剰な対北援助投資や主観的な経済政策のために韓国経済が没落するなら、この民族における近代の栄華はわずか30年の夢に終わる。国土の再統一も望めない。
保守勢力は自己変革を怠り、旧政権には破綻する理由があった。そして、政権交代による社会浄化効果こそは議会制民主主義国家の発展を担保する。その意味では、現政府はすでに半ばの成功を収めた。それだけに、これからはあせらずに時間をかけ、持続可能な改革を進めてほしいと思う。
たとえば財閥主導の経済構造にしても、特定家系による企業支配の弊害と共に、決して望ましいことではない。だが、この問題は中小企業育成の問題とリンクした歴史的背景がある。一朝一夕に解決できるものではない。無理やり決着をつけようとすれば副作用だけを残すことになるだろう。
中小企業の育成は韓国経済の将来を決する課題であり、いわゆる「経済民主化」の根幹でもある。だが、この問題は国内需要の密度と安定的な技術力の定着にも関係し、短期に決着できることではない。日本の場合、近代的中小企業は1880年代以来150年の長い伝統を持っている。
ちなみに、政府が2年連続して大幅な最低賃金の引き上げを強行した過程で、「中小企業育成」の問題はどこまで意識されていたのだろうか。疑問である。やっと手にした今の韓国経済を主観的プランの実験台にはしてほしくない。韓国がつぶれてしまう。民族統一の土台そのものが崩れてしまう。
なかんずく、南北問題での文在寅政府の熟慮と自制を望みたい。北が実証的な核放棄に踏み込まない限り、国際的制裁の枠からはみ出てはいけない。韓国がなしくずし的に制裁破りをすれば、北はますます核兵器にしがみつくことになる。