掲載日 : [2018-09-12] 照会数 : 6608
時のかがみ…花の輿に乗って キム・英子・ヨンジャ(歌人)
あまりにも遠くへ…母の花嫁姿に思う
母の花嫁姿が美しくよみがえった。両親の古い結婚写真がプロの技術で修復されたのだ。およそ80年前の写真には21歳の新郎と16歳の新婦が並んでいる。今は亡き父は三つ揃いを着て背広の胸にポケットチーフをさし、母はチマチョゴリをまとっている。写真館で撮影されたようだ。以前から実家にあったものだが、セピア色になって傷んでいたので、今回初めて鮮明に見ることができたのだった。10代の母の顔は高校生の頃の姉と似ていた。
林檎(サグァ)の皮長く終まで剥く女(ひと)は遠くへ嫁(ゆ)くと冬の夜の母
子どもの頃、夕食後に母が林檎を出してくれる時、林檎をくるくると回しながら最後まで皮が切れることなく包丁を使うので、姉と私が「お母さん上手やねー」と感嘆すると、母は、リンゴの皮を長く剥ける人は遠い所へお嫁にいくと昔から言われていたと答えた。
「そうか! だからお母さんは日本へ来たんやね」 両親の生まれ故郷が韓国にあることを知っていた私は発見をしたように声をはずませた。けれども母は何も言わない。遠い記憶の中の母は、故郷や戦争中のことをあまり口にしない。
それが70歳を過ぎてからしきりに昔の話をするようになった。健康を損ねた母は長い間帰国していない。そんな母に、折にふれて故国を偲ぶよすがとなるものを届けると喜んでくれる。韓国民謡のCDを贈ったら時々聴いていた。でも、だんだん昔の話をすることが少なくなっていった。
ある日、韓国の古の王と王妃の人形を持っていくと母は自分の結婚式の話を始めた。母が数え年16歳の時に親同士が結婚を決めたこと。すでに日本に渡っていた父は両親に呼ばれて帰郷し、そこで初めて自分の結婚を知ったこと。
韓国では花嫁は美しい装飾を施した輿に乗って嫁いだそうだ。これを花輿(コッカマ)という。母もこの輿に乗った。ただ、母の家から婚家までは遠いので途中までバスに乗り、降りてから輿に揺られて行ったのだとか。1941年頃のことだ。母の婚礼衣装はチマチョゴリにウエディングベールを身につけたというから、なかなかモダンである。婚礼箪笥には蝶の飾り金具がついていた。蝶は韓国では幸せを運んでくるとされ、婚礼道具の意匠としてもよく用いられた。
その後、東京の在日韓人歴史資料館で本物の花輿を見た。鶴や亀や番いの鴛、牡丹や百合などの吉祥文様が色鮮やかな刺繍でちりばめられている。1980年代に在日韓国人の女性がお嬢さんの結婚式のために作らせたものだ。
輿の中に入ってもいいとあったので、靴を脱いで中に座ってみた。思いのほか天井は高い。おのずと母のことを思った。幸福を願う美しい輿に乗って、あまりにも遠くへ来た母である。
(写真提供・在日韓人歴史資料館)
(2018.09.12 民団新聞)