民団は在日同胞に対する行政差別、社会的差別の一掃に取り組み、様々な差別や抑圧を受け、各種制度から置き去りにされてきた同胞に恩恵をもたらしました。民団の先駆的な人権運動は今や日本の各界にも大きな影響を与えています。
財界を代表する日本経団連は、03年11月にまとめた「外国人受け入れ問題中間報告」で地方参政権問題に触れ、外国人にきめ細かいサービスを提供するために「外国人の地方自治への参加」に道を開くべきだとし、合わせて「多文化共生庁」、「外国人庁」の設立を提言しました。
外国人が地域の重要な構成員となっている15の市町村でつくる「外国人集住都市会議」も同年10月29日、経団連の提言を支持する態度を鮮明にし、「外国人住民とともにつくる活力ある地域社会をめざして」とする宣言を採択しました。
また、日本弁護士連合会も同年10月8日に開いた第47回人権擁護大会で、初めて外国人の人権保障に焦点を当て、国際的な人権基準に合致する「外国人・民族的少数者の人権基本法」の制定を求める宣言を採択しています。この宣言は、日本におけるゼノフォビア(外国人憎悪)に警鐘を鳴らし、地方参政権や公務就任権など外国人の社会参画制度の確立を求めています。
民団の一貫した運動は日本の財界、法曹界、地方自治体に共振効果をもたらし、外国人と日本人の共生が避けて通れないことを認識させるうえで大きな意味を持っています。
日本の政治家による朝鮮植民地支配の正当化、アジア侵略の合理化、従軍慰安婦の存在否定などの発言が後を絶ちません。日本の中に広がる国家主義的な傾向を正そうとする力も弱くなっています。民団はこうした現実に対し、日本人の良識派とともに敢然と立ち向かっています。
例えば、右派・国粋主義勢力を代弁する「新しい歴史教科書をつくる会」の主導で編纂された歪曲教科書(中学生用)を教育現場に持ち込ませない01年の運動では、日本の市民団体とともに不採択運動を強力に展開し、採択率を0.03%に押さえました。
この結果に対してリベンジを公言した「つくる会」は政・官・財の保守層を動員して採択制度を都合よく改定しつつ、04年8月には石原慎太郎都知事の主導で、新設の都立中高一貫校に「つくる会」教科書を採択させるなどの攻勢をかけてきました。
民団では05年8月に再び訪れた「つくる会」との闘いでも日本の市民団体と協力し、採択率を0.4%に封じ込めると同時に、在日の歴史を自ら学び、次世代に継承しようと06年2月、「歴史教科書~在日コリアンの歴史~」を発刊し、啓蒙活動にも尽力していま
民団は乙巳条約(第2次韓日協約)の強要締結から100年に当たる05年を「在日100年」と位置づけ、3年余の設立準備の末、05年11月24日、中央会館別館に「在日韓人歴史資料館」をオープンさせました。ここには、貴重な文献・証票書類、写真・映像や衣・食・職の用具など貴重な史料が全国各地から集められ、在日100年の苦闘と躍進の足跡が分かりやすく展示されています。
また、同年10月5日から15日までソウル・プレスセンターで民団初の写真展、「嗚呼! 在日同胞」を開催し、約5000人が民団と在日の100年の歴史に思いをはせました。
同胞高齢者は日本の制度的な恩恵から排除され、老後生活を助けるわずかな年金すらありません。1世や2世の高齢者は今日の在日社会を築いた功労者です。民団は高齢者福祉を重要事業に掲げ、全国の地方自治体に無年金同胞に対する特別給付金支給を粘り強く働きかけ、08年9月末現在で1857自治体中678の自治体が採択しました。
その一方で、同じような境遇の同胞高齢者が気軽に集い、楽しいひと時を過ごせるよう、同胞集住地区を中心に支部や本部の会館などを利用してデイ・ケアなどのサービスを展開しています。
「地上の楽園」を夢見て北韓に渡ったものの、差別の中で生き地獄の生活を強いられ、命からがら脱北して日本にたどり着いた元在日同胞に対して、民団は03年6月、「脱北者支援民団センター」を設立し、脱北同胞が一日でも早く環境に慣れ自立ができるよう、衣食住の問題解決をはじめ在留資格取得、日本語学習、就職斡旋など生活全般にわたる支援を行ってきました。
また、劇的な環境変化や脱北前後の極度の緊張が未消化になっていることから来るストレスも深刻なため、関東と関西地区では「脱北同胞交流会」を開いて親睦を深め、同胞医師らによるカウンセリングも行っています。
同センターの支援事業は内外の反響を呼んでいます。事業推進の裏づけとなる資金は一般の募金で賄っており、民団員ばかりか匿名を条件とした朝鮮総連同胞からの寄付も少なくありません。また、各同胞団体が主催するチャリティー事業の収益金も寄せられています。
民族的感性を幼少期から育もうと、民団では全日制民族学校4校(東京韓国学校、白頭学院、金剛学園、京都国際学園)を設立し、現在も運営を支援しているほか、日本の公立小・中学校に通う同胞オリニ(子ども)を対象に「土曜学校」を開いています。
また、夏休みに実施している臨海・林間学校(オリニサマーキャンプ)の全国版として01年から16年まで「オリニジャンボリー」を9回、母国で開催しました。オリニたちにとっては、全国の仲間と友情の輪を広げるとともに母国に触れあうことで韓国人としてのプライドを育む契機となっています。また、保護者の共通課題を解決していくネットワークの広がりにも努力しています。オリニたちの指導には民団のスタッフだけでなく、在日韓国青年会や在日韓国学生会員のボランティアが当たっています。
国際親善を綱領で鮮明にする民団は、韓日関係が極めて厳しい時期から日本各地の日韓親善協会、日韓議員連盟の結成に主導的な役割を果たしました。
また、韓日善隣友好の礎となった朝鮮通信使が07年で400周年を迎えたことから、民団では機関紙民団新聞を通じて歴史的意義を紹介すると同時に、通信使にゆかりのある自治体のイベントに積極的に協力しました。
特に、通信使がたどった道のりを体現しようと、4月1日にソウルを出発したのが「韓日友情ウオーク」の一行です。民団が後援したこのウオークは5月16日に無事に東京に到着しましたが、ソウル~東京間を踏破した団員はもちろん沿道各地で一行を歓迎した団員らによって韓日親善が大いに進展しました。
95年1月の阪神淡路大震災で民団は、各支部会館を救援ボランティアの支援施設に活用し、避難所で韓国食の炊き出しを行うなど義援活動を大々的に行いました。被災者のお役に立ちたいと兵庫県庁に義援金を伝達しました。この実績が生かされたのが、04年10月23日に発生した新潟中越地震での迅速な対応です。民団中央本部は直ちに「新潟中越地震被害対策委員会」を設置し、組織をあげての募金活動を開始するとともに、被災各地の民団地方本部の対策本部と連携して被害実態の詳細を把握する一方、現地に人材を派遣しての救援活動に乗り出しました。
在日同胞社会の生活は、価値観や生活手段の多様化や国際結婚・越境結婚の増加、それらにともなう重国籍者の急増などにより、複雑で難解な生活・法律問題を抱え込んでいます。民団は2007年7月に「みんだん生活相談センター」を中央本部内に設置し、各地方本部や支部とネットで結ぶことで、あらゆる場所から気軽に、無料で相談に応じる体制を整えました。
このセンターには、弁護士、税理士、司法書士、行政書士ら、在日同胞や日本人の専門家約40人が協力しています。日常生活の悩みや法律上の困難な問題にも誠心誠意対応しており、相談依頼者は時を追って増えています。相談に当たる専門家たちも「同胞の諸問題解決にサポートできて、本当にやりがいがある」と語っています。