「よき人」へ想い込め
二つの祖国を生きる主題に
書評…金一男
「いつの日か時調を日本に知らしめむ思い来たりて今宵更けゆく」
著者は1930年に韓国大邱に生まれ、45年の敗戦で大阪に帰り、高校教諭を定年退職して現在に至る『未来』『黒豹』の歌人だ。
その間、個人の歌集のほかに名訳『韓国近現代時調選集』を上梓、また、韓国の伝統定型詩である時調の国宝級唱者を日本に招いての公演も実現している。在日2世である私が初めて本格的な時調に触れたのは、日本人である廣岡冨美先生の訳詩集『時調選集』を通じてであった。
「在日の君の若き日を知る一人 語りつつ突如号泣せり」
時調唱講演には私もご招待にあずかり、亡き近藤芳美先生、尹学準先生らが参席されるなか末席を汚したこともある。その折の廣岡先生の端正な風貌に秘められた力強い優しさは印象的だった。
「お故郷(くに)はどこ出身はどこと問われいて答えようなし日本に生まれざり」
「言葉のずれほんの少しを蔑(なみ)されき植民地育ちよと蔑されにけり」
「わが命尽きなば迎日(ヨンイル)の海に撒け東海に静かにわれ撒かれたし」
「この海に育てられたり長く恋いぬこの海を愛して半世紀が過ぐ」
迎日湾は慶尚北道浦項市の海で、真東に面することに由来する。私は最近、江陵から浦項までの海岸線をひとり、バスでたどった。この旅は私の韓国周回を完成する旅だったが、東海の海の情緒は格別だった。
このあたりの海は、北上する暖流黒潮の支流と南下する寒流リマン海流が出会うところで、沖では寒暖二つの海流がぶつかりあって渦を巻く。そのため常に波が高く、けがれのない波しぶきに心が洗われるようだった。 日本人である廣岡先生がかくも韓国を愛するのは、15歳までを過ごしたかの地で、かならずや一人の「よき人」と出会ったためであろうと私は信じて疑わない。
たとえ9人が悪しき人でも
日本に生まれ育った私自身がそうであったように、たとえ9人の悪しき人がいたとしても、自分を理解し、いつくしんでくれたただ一人の「よき人」との出会いが、その土地を「よき土地」とするのである。
「私が韓国・朝鮮を詠むのは、私が生きる上での主題でもあるからなのだ。これらの国と日本は長い歴史を共有するアジアの隣国である。そして今後ともそうである。韓国の大邱に生まれ育った私には二つの国が祖国である。それらの国に目を向けてもらいたいとの想いがある。」
これは、6冊目にして「最後となろう」この歌集のあとがきに記された廣岡冨美先生の言葉だ。そこには優しくも凛とした眼差しがある。
韓日の関係はアジアの運命を決するカギと言えるだろう。韓日間の距離がたやすく遠のくようであれば、アジアの平和は望めない。いま中国と北韓は重大な分岐点に立たされている。韓日がしっかりと手を取り合い、中国にとって最大のテーマである民主的発展を方向づけ、北韓の変革をうながさねばならない。
独善と偏見捨ててこそ
もし韓日が背を向け合うなら、経済的停滞の中で中国の既得権層はわがままになり、中国全体が政治改革の目標を見失って軍国的愛国主義に流されるであろう。その中国の傘の下にある平壤政権は、ますます歪んだ方向に進むことを正当化するであろう。
不幸な歴史的時代を共有する韓国人と日本人の一人ひとりが、ゴーマニズムやコンプレクスから来る独善や偏見を捨てて、互いに「よき人」たらねばならないと思う。
(キム・イルラム。「時調(三行詩)の会」同人、MINDAN文化賞「詩歌」部門審査委員)
(2012.12.21 民団新聞)