【石川】民族自決と東洋平和の理想を追い求めた韓国の独立運動家、梅軒尹奉吉義士の80回忌追悼式が民団石川本部(卞宗植団長)主催のもと12月19日、金沢市野田山の殉国記念碑前で営まれた。中央と中北地協の各民団関係者のほか、石川と富山の両日韓協関係者、市民団体「尹奉吉義士共の会」などから120人が参列した。
主催者を代表して卞団長が開会辞。駐新潟総領事館の李永龍総領事が追悼の辞を述べた。また、婦人会石川本部の李紀子会長が記念碑建立の趣旨を朗読した。
尹義士は「天長節」の1932年4月29日、上海の戦勝祝賀式典の会場に爆弾を投擲し、壇上にいた当時の日本軍首脳に大きな打撃を与えた。その場で捕らえられ、軍法会議を経て同年12月19日、金沢市郊外の三小牛山陸軍演習場で銃殺刑を受けた。享年24歳。遺体は解放後の1946年3月、在日同胞によって発掘され、野田山からソウル市内の孝昌公園に移葬された。
記念碑は民団石川本部と韓国梅軒尹奉吉義士第60周年紀念事業推進委員会が処刑から46年後の92年12月19日(義士命日)に建立した。土地は金沢市から支援を受けた。追悼式を終えた参列者は、碑の下手にある史跡「尹奉吉義士暗葬之碑」の前で手を合わせた。
この後、市内のホテルに場所を移し、講演会と懇親会が行われた。民団中央の金昭夫副団長は、「尹奉吉義士の説いた崇高な理念を受け継ぎ、真の韓日友好親善の未来を切り開きましょう」と、呉公太団長に代わって呼びかけた。
(2013.1.1 民団新聞)