苦境に耐え 望郷歌う
集団労働現場から広がった
日本の植民地時代、そして解放後も苦渋をなめてきた韓民族にとって「アリラン」は、故郷や家族を思い、苦境を耐えるための精神的支柱として重きをなしてきた。伝統民謡「アリラン」が昨年、第7回国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されたのを機に、その存在の大きさが改めて見直されている。
奈良の正倉院には伽耶琴など古代韓半島の楽器がある。それらの楽器は、その楽器に精通した者が包装し、運んだだけでなく、演奏の仕方も伝授しただろう。当然、受け入れ側の人たちと伝える側の人たちの酒盛りなどもあったはずだ。そういう時にはお互いに自慢の謡を披露し合い、「アリラン」が歌われたとしても不思議はない。
残念ながらそういう記録はなく、時代はぐっと下がって、今から400年余前の「壬辰倭乱」の話に移る。この戦乱で、韓半島から10万人ともいわれる人々が強制連行され、九州地方にも多くの人が住み着いた。そのときに伝わったのではないかと見られているのが「五木の子守唄」だ。
その根拠として、まず「五木の子守唄」は従来の日本の民謡にない3拍子であること。次はメロディーに日本民謡の音調にない情緒があること。3番目には「おろろんおろろん おろろんばい」という繰り返しが「アリラン」の繰り返しに似ているのではないかということ。4番目には歌詞にある「おどまかんじんかんじん」の「かんじん」が「韓人」ではないかということ、などがある。
五木の子守唄奇妙な因縁も
これついては、捕虜として連行された陶工14代子孫である沈壽官氏が「この歌を初めて聴いたとき、私は瞬間『かんじん』とは『韓人』を指していると思いました。理由はないのですが直感です。いまもそう思っています」と語っていた。
連行されてきた人々の望郷の念と、当時の貧しい五木村の幼い少女たちの里親恋しさが一緒になって、メロディーは韓国式で、歌詞は五木村式という形でできたと言えないだろうか。これは私の推測である。
私はこのメロディーに韓国語の訳詩で歌ったとき、大変よく合うので驚いたことがある。もちろん、こういう見解に対して反論もある。例えば「五木の子守唄」は3拍子とも2拍子ともとれるということ、「かんじん、かんじん」は「非人」、あるいは「勧進」を指しているということなどがそうだ。いずれにしても、「五木の子守唄」は戦後ラジオを通じて急速に全国に広まったという点など周辺には謎が多い歌である。
今日歌われているアリランが日本に伝わったのは、羅雲奎の映画「アリラン」が1926年に封切られて以降のことだ。爆発的なヒットにより日本でも上映され、「本調アリラン」も当然日本に伝わった。事実、北海道や九州の炭鉱で上映されたとの記録がある。
ともに歌ってなぐさめ合い
その影響は極めて大きかったに違いない。それこそ北海道から九州までの、連行・徴用された同胞が過酷な労働を強いられた炭坑・鉱山があった所には、必ずと言っていいほど「アリラン峠」と呼ばれる山道があった。 宿所から現場まで隊伍を組んで往復させられた同胞たちは、故郷と家族を思い、仲間意識を高め合い、苦境を耐えるために、道すがら声をそろえてよく歌ったのがアリランだった。周囲の日本人がいつしか、この山道を「アリラン峠」と言い慣わすようになっていた。 「本調アリラン」を受けついで新たに作曲されたアリランでよく知られているものに、南には「ホルロアリラン」、北には「強盛復興アリラン」がある。日本では新井英一さんの「清河(チョンハ)への道」が在日コリアンの「アリラン」として歌われている。
1945年の解放のとき、民族リーダーの1人であった金九先生が「私が願うわが国」の中で「私はわが国が世界で最も美しい国になることを願っている。強い国になることは願っていない。われわれの富力はわれわれの生活を満足する程度であればよいし、われわれの強力(軍事力)は他の国の侵略から守る程度でいい。何者にもかえがたく持ちたいものは高い文化の力である。文化の力はわれわれ自身を幸福にするだけでなく、やがては他の人々にも幸福を分かち合うことができるからである」と言っている。
わが民族は軍事大国や経済大国を目指すのではなく、「文化を最も重んじる国」、「文化大国」でありたいという熱望から出た言葉である。
険しい「峠」を越えてこそ…
われわれは、異国日本に永住するコリアンとして不安定な立ち位置にあり、さらには祖国の「分断」という険しい「峠」を越えなければならない。しかし、南と北、海外の全ての同胞が栄えある「アリラン文化圏」の一員としての認識を共有すれば、必ずこれらの問題は克服できると確信している。
「伝統アリラン」の世界文化遺産登録は、その大きな励みになるだろう。私も「アリラン文化」を精神的糧として、これからも生きていきたいと思っている。
民謡「アリラン」に関する問い合わせ先ホームページ arirangchosun.web.fc2.com
(2013.1.16 民団新聞)