4月28日まで
江戸時代に朝鮮通信使の一員として随行してきた画員たちは、江戸までの道中で多くの絵画を描き、日本の文人画に大きな影響を与えた。当時の豊かな異文化交流を100点を超える写真パネルで振り返る企画展「画員たちはどんな絵を描き残したか」が東京・新宿の高麗博物館で始まった。
朝鮮通信使がやってきた江戸時代は、朝鮮朝時代の中期から後期にあたる。画工は宮中から随行員の一員として任命され、道中の風景を絵や図で記録した。また、日本人の揮毫の求めに応じて絵画を描くなどした。
中期は中国(北宋)の影響を受けた山水画が主流だったが、随行画員は日本人の趣味嗜好に合わせ、洒脱な禅画を多く残した。韓時覚作の「川蝉図」には当時、吉良上野介を討つ思いを秘めて京都・山科の岩屋寺で隠棲していた赤穂藩の筆頭家老大石良雄(内蔵助)が賛を寄せている。
後期になると、山水的な表現に西洋の遠近法を取り入れ、身近な素材を好んで取り上げる。いわゆる朝鮮的・民族的といわれた画風が一世を風靡した時代だった。京都の画家、池大雅は随行画員の金有声に、「富士山の描き方」について指導を請うたといわれている。企画展制作委員会では、「韓日友好の象徴ともいうべき朝鮮通信使を文化交流という新しい角度から考えてみようと企画した。韓国と日本がぎくしゃくした関係を続けているいまだからこそ、多くの人に見てほしい」と話している。
4月28日まで。3月9日には企画展関連の講演会「朝鮮時代中・後期絵画と日本の受容」もある。月・火曜日は休館。問い合わせは高麗博物館(℡03・5272・3510)。
(2013.1.16 民団新聞)