厳しい社会 薫る愛
歴史上の人物 ベールはぎ綴る
このたび、朝鮮王朝に材をとった新著を刊行した(『すらすら読める 朝鮮王朝禁じられた愛』講談社)。1年前に出した『物語のように読む朝鮮王朝五百年』(角川書店)につぐ朝鮮王朝ものである。人には、はまっているなと思われることだろう。確かにこのところ、朝鮮王朝が執筆の柱になっている。韓国に行くたびに、その手の資料を買い込んでくる。知ることが実に楽しいのである。
だが、韓国に最も足しげく通った1980年代、隣国の歴史はブラックホールのような闇だった。韓国の知人の家でテレビドラマを見ても、歴史ものとなると歯が立たない。「ござ候」のような歴史劇特有の表現に不慣れなせいもあるが、朝鮮半島の歴史に関する知識があまりにも乏しかったのである。映画や歌など、韓国の現代文化になじみつつ、また近代日本が与えた隣国の不幸についてそれなりに学びつつも、昔の王様の名前は世宗しか知らず、王朝時代の歴史は厚いベールの彼方に漠としてひろがるばかりだった。
魅力あふれる脇役の人たち
事情を変えたのは「宮廷女官チャングムの誓い」以来、日本でも次々に放送されるようになった韓流歴史ドラマである。かなりのフィクションをまじえているとはいえ、それらのドラマは隣国の歴史に具体的な顔を与えた。歴史書の中の遠い存在でしかなかった人物たちが、厚いベールを払いのけて、血も涙もある人間として立ち現れたのである。
俄然興味を覚えた私は、朝鮮王朝について学び始めた。知れば知るほど興味を覚えた。歴代王や王妃たちだけでなく、脇役のような人たちの中にも魅力溢れる人物像を知った。民族のDNAは間違いなくそこにあるように感じ、現代の韓国や北朝鮮でも、そうした歴史のDNAが作用していると感じた。
その結果が、500年を超す朝鮮王朝史を物語風に綴った昨年の本となったわけだが、執筆中から次は愛を軸に朝鮮王朝を綴りたいと思うようになった。愛に生き、殉じた者たちの想いを、著したいと思ったのである。
そこかしこに胸を打つ物語
朝鮮王朝は儒教を国是とし、その掟に縛られた社会だった。身分は厳しく規定され、両班(ヤンバン=貴族)と庶民との結婚は許されず、身分差を超え愛に身を投じた者には厳しい処罰が科された。愛はしばしば命がけであり、別離や死の悲劇と隣り合わせだった。それでも、人々は愛し合った。逆説めくが、社会の厳しさゆえに愛は磨かれ、せつなくも美しく薫ったのである。
日本では、中国を舞台にした歴史小説は多い。だが残念なことに、朝鮮の歴史に材をとった小説は少ない。昨今の韓流歴史ドラマブームが、そういうところにまで発展してほしいと、願わずにはいられない。時代や国境を超えて日本人の胸を打つ珠玉の物語が、王朝史のそこかしこに輝いているのだ。
政治を超えた王朝史紡んで
隣国の歴史を知ることで、善隣友好が進むとする意見もあろう。だが正直に言うと、私の考えは少し違う。そこに人間の真実があるから、朝鮮王朝に惹かれるのだ。イギリス人の劇作家シェークスピアが書いた『ロミオとジュリエット』は、もとはイタリアのヴェローナにあった話である。政治を超えた人間の次元で、私はこれからも朝鮮王朝の物語を紡ぎたいと思っている。
(作家)
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時代を超えて 感動の物語
朝鮮王朝に生きた人たちの愛の真実を綴った多胡吉郎著『すらすら読める 朝鮮王朝禁じられた愛』がこのほど、講談社から発売された。
いつの世も変わらないのが恋心だ。世の中にはさまざな苦難を乗り超えて、その恋を成就させた人たちがいる。だが、許されない相手との愛が、命を代償とするものなら…。
朝鮮王朝は厳格な身分制度が敷かれ、両班と庶民との結婚はもってのほかだった。だが、その禁忌を破っても、愛を貫き通した人たちがいた。
本書は、「命をかけた身分違いの恋〜世宗大王が裁いた、良女・加尹と奴婢・夫金の愛〜」「王妃から奴婢へ、尼へ。つらぬかれた純愛〜端宗の妃、定順王后・宋氏〜」「山深くに結ばれた恩讐を超えた恋〜世祖の娘と金宗端の孫、『王女の男』の愛の真実〜」など、史実に基づいた愛の物語5話が収録されている。
登場人物の置かれた立場はそれぞれ違っても、愛に向き合う姿勢はどれも一途で曇りがない。
今、朝鮮王朝ドラマがブームだ。だが「現代の視聴者向けに作られたドラマのなかのラブ・ストーリーと、朝鮮王朝の愛の実相とはかなりの距離がある」と著者は言う。
権力闘争や派閥抗争の絶えなかった朝鮮王朝のなかで、それぞれが命をかけて育んできた愛は、時代を超えて読者に感動を与えてくれるに違いない。
価格1000円(税別)。問い合わせは講談社生活文化第二出版部(℡03・5395・3529)藤崎。
(2013.3.6 民団新聞)