「二つの祖国と日本に生きて」を副題とする本書は、1942年、兵庫県に生まれた著者が、韓国、日本、そして米国に居住するまでの半生を綴った物語。
両親がそれぞれの祖父母に連れられて日本に来たのは1920年代。解放後、一族は祖父の故郷である慶尚南道の馬山に帰郷。祖父亡き後、日本に戻った父を追って、53年5月に母とともに日本へ。
中学と高校の半分を東京の朝鮮中高級学校に在籍。高校2年のとき北送事業が始まった。学校の北韓への傾斜と学習内容に耐えられず、日本の高校に転入学した。
初めて米国に行ったのは79年だ。交換学者として招かれた夫に同行した。同年春、夫はソウルの漢陽大学から助教授のポストにと声がかかったが、当時、夫妻に米国で夢を実現し、「そこに根を張れ」と励ましたのは父だ。日本での苦い人生体験が、そう言わせたのだろう。
幼少のころ、韓国で過ごした数年を除けば、自分たちは日本産だと著者は言う。日本は懐かしい故郷だ。だが、日本社会が在日韓国人として、ありのままの自分たちを迎え入れないことを子どもの頃から痛いほど知っていたのだ。
著者は第2の故郷となった米国で、家族の思い出を積み重ねきた。祖父母や両親の物語は、同胞として胸を打たれる。
李貞順著
梨の木舎(2000円+税)
℡03(3291)8229
(2013.3.20 民団新聞)