掲載日 : [2016-03-09] 照会数 : 5471
被災住民に寄り添う…石巻市で復興支援
[ 夏のお茶っこ住民祭り ]
趙宣教師
拠り所設け5年
【宮城】大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市で震災直後から地域復興支援センター「お茶っこはうすオアシス」を運営する趙泳相宣教師にこの5年間の取り組みを聞いた。
「お茶っこはうすオアシス」には住民が気軽にお茶を飲みに立ち寄ってほしいとの願いを込めた。9〜19時、門を開け、住民たちの抱える悩みごとの相談に乗っている。来訪者は毎日10人を下らない。このほか、コンサート、物づくり会、セラピー、バザー、映画会、講演会、炊き出しと多くの集会を開いている。
ここは国内外からやってくるボランティア団体の活動拠点ともなっている。趙さんも一緒になって活動に取り組む。
「家族を失って寂しく暮らしている住民、身内のいない高齢者、手が足りなくて困っている地元漁師たちの養殖の手伝いなど、私が奉仕できる場は数多くあります。掃除だってそうです。さつばつとしている町の雰囲気を変えるために、明るい花を植えて、その花壇を管理することもやりがいがあります。こうした奉仕活動はもう250種類以上行ってきました」。
趙さんは東日本大震災をきっかけに、東京にある日本キャンパス・クルセード・フォー・クライストから派遣された宣教師だ。震災直後の2年間は一般財団法人オアシス(神奈川県横浜市)の評議員の一人として現地スタッフの支援活動に関わったが、定住するスタッフがいなくなり、自ら責任者を買って出た。
「震災当初は東京から通いながら、福島県の海岸通りに近い原発被災地をはじめ、東北海岸沿いにあるすべての村を駆け巡って支援活動を展開しました。現地の責任者となってからは、石巻市をベースにしてその周辺と牡鹿半島に絞って働いています」。
石巻に移り住んだ当初は住む家がなく、1年間、支援センター内の物置き場で被災住民と共に生活した。仮設団地にも定期的に足を運び、多くの在日同胞被災者も励ましてきた。
「一部の同胞は壊された家を修理したり、飲食店を再開したり、古里近くに自立型の家を建ててたくましく再起しています。でも、仮設団地で暮らす多くの同胞はあの日に受けた傷、痛み、家族を失った喪失感と悲しみを抱えながら生活しています。いまだに第2の古里に戻れない状況で、新たな引っ越し先を探しています」
趙さんは、「苦しいときの友は永遠の友だ」という。「この5年間、東北で働き、数多くの友だちと出会いました。彼らと一緒になって涙と汗にまみれた体験は私の宝物です。被災地が復興できるまではこの地にとどまり、共存共生のパートナーとなっていくつもりです」
(2016.3.9 民団新聞)