掲載日 : [2016-04-27] 照会数 : 7435
「沙也可」の子孫を誇りに…第12代宗家 金昌先さん
[ 自らの名前が記された族譜を手にする金昌先さん ]
友鹿村に土産品店、収益還元を夢見る
【埼玉】名刺の「沙也可」第12代宗家の肩書きがどこか誇らしげ。金昌先の名前と並んで通称の「友鹿」を記した。周囲からは「将軍」と冷やかされることも。自ら起業した会社名も「沙也可」とした。
始祖は420年前の壬辰の乱に豊臣軍の先鋒将として部下とともに韓半島に侵攻した「沙也可」(日本名は不明)だった。「沙也可」は侵攻直後、配下とともに朝鮮側に投降した。日本の高校の日本史教科書によれば、「『沙也可』は朝鮮の礼・義と中華文物の盛んな様子を慕っていた」という。
「沙也可」は日本軍と戦って功績を挙げ、宣祖から金海金氏の姓と忠善の名前を下賜された。壬辰倭乱が終わると慶尚北道達城郡友鹿洞で余生を送った。
ここはいまも子孫が多数暮らす集姓村となっている。「日本人末裔の村」として日本からも年間約1万人が訪れる。
金昌先さん(65、鴻巣市)は在日3世。自らのルーツは学生時代、祖父から聞かされた。父親の集めた沙也可に関する資料に目を通し、「日本を追い出すのに大きな力を与えたのが私の先祖」と内心誇りに思うようになった。子孫として友鹿村になにか貢献できないかといつも思案している。
「村に小さなお土産店を開き、その収益を村に還元できたら」と話す。
(2016.4.27 民団新聞)