掲載日 : [2005-02-16] 照会数 : 5771
〈寄稿〉尹東柱を偲んで 檀国大学校教授王信英さん(05.2.16)
[ 延禧専門学校卒業時(1941年12月) ]
[ 1995年2月16日に同志社大学今出川キャンパス内に建立された尹東柱詩碑 ]
痛み癒す青春性と潔癖性
生身の葛藤に光を
一群の若き知識人鎮魂するためにも
今年は太平洋戦争が終わってから60年になり、韓国と日本が国交を正常化して40年になる記念すべき年である。その間、韓日を取り巻く環境も大きく変わった。両国間の文化的交流も頻繁になり、未来に向けた関係づくりへの関心も高い。それと併行して、過去に対する認識や評価も改めて考え直そうとする動きも活発になっている。
ここで、両国に深い関わりを持っている詩人、尹東柱について改めて紹介したいと思う。日本で獄死し、韓国で代表的な民族抵抗詩人と評価されている尹東柱は1917年満州(中国東北間島)で生まれ、42年延禧専門学校を卒業し、同年4月日本に留学した。
はじめは立教大学に入ったが、まもなく京都帝国大学にいたいとこの宋夢奎を追って、同志社大学に移った。そして主に朝鮮文化の維持と向上を語ったために43年、宋夢奎とともに治安維持法違反で下鴨警察署に逮捕された。そして2年の懲役宣告を受けたが45年2月福岡刑務所に服役中、獄死した。それは解放までわずか半年を残した28歳の時であった。
尹東柱の遺稿詩集「空と風と星と詩」が出たのは、死後間もない47年である。この詩集は延禧専門学校卒業を記念して出版しようとしていたもので、ハングルで書かれていることや、いくつかの表現が検閲に掛かる危険性があることなどから、果たせなかった19篇の自薦詩集である。
彼は日本に留学する時、それを3部の手製詩集にして知人に預けて置いたが、その中の1部が友人によって大事に保管され、紛失を免れた。詩集は瓶に入れられ、床の下に隠されていた。
「空と風と星と詩」は出版されてから版を重ね、韓国で尹東柱を最も大衆的人気の高い詩人にした。おそらくそれは、〈死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥のないことを/木の葉にそよぐ風にも/私は心痛めた〉(「序詩」)で感じられるような彼の詩の青春性と、それの持つ潔癖さに重なり合う抵抗のイメージが、植民地を経てきた人々の心の空虚さと痛みを癒してくれるものであったからであろう。
青春などあるはずがないと思われている、あの植民地の非日常的状況の中での「青春」の姿と、それにオーバラップされた獄死という悲劇的な死に方が、人々に新鮮な感動と時代の「痛み」を呼び起こしたであろう。
尹東柱の詩は日本の文学愛好家たちにも伝わって、現在何種類かの翻訳が出ており、母校同志社大学の校庭には彼の詩碑が立っている。「痛み」は国を越えて共有できる最も普遍的な人間の感情なのである。尹東柱に問われる現在的意味もここにあると思う。
しかし、今までは民族抵抗詩人という側面が強調されすぎたきらいがある。獄死するまで無名の植民地知識人青年として生きていたことを思えば、その実像に近づくためにはもっと多面的な接近が必要である。
残されている資料で彼の日常性や肉体性を復元することも、その方法の一つであろう。それは尹東柱に民族抵抗詩人として神話化された人物ではなく、歴史を生きた人物として照明をあたえることによって、今では忘れさられていた同時代の無名の植民地知識人青年たちへの記憶を思い起こさせることでもある。
そのことはまた、彼らにとっても生きるとは「日常を生きる」ことであったという当たり前の事実と、その日常を「生きる」ことさえ常に死の危険性が伴われていた、当時の非日常的状況を理解することである。
そうすると、〈人生は生きがたいものなのに/詩がこうたやすく書けるのは/恥ずかしいことだ/六畳部屋はひとの国/窓辺に夜の雨がささやいているが〉(「たやすく書かれた詩」)と呟く詩人の苦悩がもっと具体性を帯びてくるだろう。
尹東柱は抵抗の心を内面に秘めてはいたが、戦闘的な人物ではなかった。嘆かず、戯れず、方法を見つけて時代を生き抜くこと、彼の抵抗はそのようなものであった。 文学はその方法の具体的な表現であったと思われる。さらに40年前後になると生存しながらの抵抗の、そのぎりぎりの線で文学を越えた方法が模索されていたことが、書籍資料などの痕跡から窺える。
朝鮮文化の保存や西欧の反ファシスト文化連帯に対する関心も、三木清や河合栄治郎、小松清など、当時の反ファシストたちへの関心も、その一環であったと思われる。 それは、知識人として尹東柱が生き抜くことを望みながらできた抵抗の限界であったであろう。彼の悲劇は、にもかかわらず死を免れ得なったことであり、それはその時代の悲劇でもあった。
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王信英さん略歴
76年、金剛学園高等学校卒、98年2月から99年1月まで同志社大学客員研究員、日本近代文学、比較文学専攻
(2005.2.16 民団新聞)