掲載日 : [2005-05-18] 照会数 : 6956
創業以来約70年…黒字の柳韓洋行(05.05.18)
[ 柳韓洋行の車社長
]
労使協調と透明経営の先駆…利潤は教育事業に
鎮痛・消炎剤の薬で知られる柳韓洋行が創業10年目の1936年に株式会社に転換して以来、約70年間にわたり透明経営と労使協調で黒字を続けている。激動の時代を経てきた韓国社会にあっては驚異的な記録。
「企業は社会のもの。企業家は単に引き受けて経営するだけという創業者の理念に支えられ、世界のどの企業よりも透明な経営を実践している」。車重根社長(59)は柳韓洋行の黒字経営の秘訣についてこう語る。
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日本植民地時代の1926年に柳韓洋行を創立したのは柳一韓博士。米国留学からの帰国後、延禧専門学校から教授職の誘いを受けたが、民族の健康と教育のためにもっと大きな仕事をしたいと考え、実業家に転身した。平壌で雑貨商を営んでいた父親の影響を受け、柳博士は事業面でも卓越したセンスを持っていたが、創業がたんなる利潤追求だけでなかったことは、その後の行動を見ればわかる。
事業を軌道に乗せた54年、私財を投じて「高麗工科技術学校」を設立したのをはじめ、60年代には韓国職業学院と柳韓工業高校、柳韓中学校を相次いで開校し、教育事業に本格的に乗り出した。71年の柳博士他界後は、本人所有の全財産を柳韓財団に寄付した。
日帝時代、病に苦しむ多くの民衆の健康を思い医薬品を販売し、そこから生じた利益を教育事業に還元した。すべて民族愛の精神からだった。
91年に他界した柳博士の娘も、父親にならい柳韓洋行の株式と全財産を柳韓財団に寄付した。現在、柳博士の子孫は米国に居住し、会社経営には一切関与していない。
薬品を販売して生じた利益を社会に還元するという「正直な企業」をモットーにしている。だからこそ顧客から支持され、今日なお、韓国内の尊敬される企業ベストテンに常に名を連ねている。
社員らはこの哲学を企業理念に結束してきた。89年にロシアに対して輸出する30億ウォンもの解熱剤の納期を守るため、全社員が一丸となって4カ月間にわたり残業を続けた。
97年の為替危機の時は、社員らが毎年600%以上支給されていたボーナスを返上し、「あと30分働こう運動」を実践した。
車社長は「このような社員こそ一番の宝物」と誇らしげに語る。創業者が引退してから、歴代の社長はいずれも平社員からの生え抜きばかり。「社員なら誰でも社長になれる」という雰囲気が、社員にうヤル気と愛社精神を培っている。
株式会社に移行した際、韓国では初めて従業員に株式を分け与える社員持ち株制度を実施したほか、98年にも、韓国企業としては初めて、社員を対象にしたストックオプション(株式取得)制度を導入した。
社長と労働組合による週1回の対話は慣例として現在も続いており、75年に労働組合が設立されてから30年間、労使紛争なしの記録を守っている。創業者の民族愛と哲学の精神が全社員に受け継がれている。
(2005.05.18 民団新聞)