掲載日 : [2006-10-18] 照会数 : 9958
新羅と正倉院関係やはり深い 最古級写経〞発見〟の意味
[ 正倉院所蔵「大方広仏華厳経」写本の一部分 ]
8世紀前半の新羅製
紙は中・日未使用のコウゾ
正倉院宝物(大方広仏華厳経)に新見解
間もなく正倉院展が開催されるが、今年の5月、注目の新見解が宮内庁正倉院事務局から発表されていた。
古都・奈良の晩秋を彩る「正倉院展」は、10月24日から11月12日まで奈良国立博物館で開催される。毎回収蔵品の一部しか展示できないため、展示品は毎年異なっている。そのため、必ずこの時期に奈良を訪れるという熱心なファンが各地から多数やって来る。
これよりさきの5月23日、正倉院宝物への新見解が宮内庁正倉院事務局から発表された。宝物の中の「大方広仏華厳経」が、朝鮮の古代国家・新羅で8世紀前半に写経されたものであるという元奈良国立博物館長の山本信吉氏(古代美術史)の論文を紹介した。
正倉院の聖語蔵(しょうごぞう)には、奈良時代から室町時代に至るまでの4960巻にのぼる経典が収蔵されており、「大方広仏華厳経」写経もその中の1巻である。
山本氏が同写経を8世紀前半の新羅製とする根拠は、①幅26㌢の白紙が55枚つなぎ合わされ30・8㍍に達する用紙は、当時の中国や日本では経典に使われていないコウゾで作られていた。
②記載されている単位は新羅で用いられていたものだ。
③経文は原本をほぼ半分に省略したもので、仏像などに収めるため新羅でさかんに作られていた。
④端正で力強い楷書の筆遣いは、当時の日本で写経された経典にはみられない新羅特有のものである。
⑤1行の文字数や罫(けい)線などが、当時の中国や日本のものとは違うなどである。
さらに筆跡から、740年代に写経されたものであるという。
韓国現存の国宝よりも古い
韓国に現存する新羅時代最古の写経は754年製とされる「新羅白紙墨書大方広仏華厳経」で国宝である。正倉院蔵は韓国現存の写経より10年ほど前の作ということになる。
ほぼ同時代でどちらも「大方広仏華厳経」写経であり、韓国の歴史家や仏教関係者なども正倉院蔵に大いに注目している。
山本氏はさらに「正倉院に収蔵されているお経になぜ朝鮮のものがなかったのか、多くの研究者が抱いていた素朴な疑問であった」と述べて、その他の中国製とされている経典も再調査や再検討の必要性を説いている。
たとえば今まで中国製とされていたものも、日本製より文字が立派という単純な根拠によるものが多数あるとのことだ。であるならば、正倉院収蔵のその他の経典も韓国の研究者と共同で調査し直せば、もっと大きな発見の可能性もある。
さらに、新羅との深い関係が徐々に明らかになってきた正倉院の宝物全体を韓国の研究者と共同で再調査すれば、常識を覆すような大発見があるかもしれない。
正倉院宝物というと、遣唐使との関係で一般的には「唐伝来」という印象が強く、新羅との関係はほとんど無視あるいは軽視されてきた。
大半の中学・高校日本史教科書も、シルクロードや唐との関係には言及していても、正倉院と新羅との関係には全く触れていない。
しかし実際には、唐よりも新羅伝来の要素が強かったのでないかという状況証拠が多数見つかっている。
遣唐使より新羅商人が中心
正倉院収蔵物の中で最も有名な宝物の一つが「鳥毛立女(とりげりゅうじょ)屏風」だが、その下張りに使われていた紙に、平城京の役人が新羅商人から舶来品をしきりに購入していたことが書かれている。
正倉院宝物とは、天皇を頂点とする平城京に住む貴人たちの所有物そのものであり、宝物の原産国はともかく、それらを日本に運び込んでいたのは遣唐使よりも新羅商人が中心であったことをこの紙は如実に物語っている。
ある学問書の下張りには新羅戸籍文書が使われ、新羅の公文書が何げなく使われていることも関係の深さを裏付けている。新羅製品は多数あり、それらはもっと注目されるべきだ。
(2006.10.18 民団新聞)