掲載日 : [2009-09-02] 照会数 : 6807
「追悼の碑」建立 関東大震災で虐殺された同胞しのぶ
四ツ木橋たもと私有地 市民団体が20年がかり
1923年9月1日に発生した関東大震災時の混乱のさなか、荒川にかかる東京・墨田区の旧四ツ木橋付近で軍隊に機関銃で撃たれたり、民間人の手で虐殺された多くの同胞を悼む碑が、橋のたもとにある私有地に完成した。82年から荒川河川敷で同胞犠牲者を追悼してきた「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」と「グループ ほうせんか」2団体が91年に追悼碑基金を発足させ、募金に取り組んできた。
石碑の表面には「悼」の一文字。希少とされる天然の根府川石だけが持つ少し赤みがかった肌を通し、手彫りの持つ温かみが伝わってくる。「グループ ほうせんか」の西崎雅夫代表は、「シンプルに、素直に私たちの心を表した」と語った。 淡いグリーンの裏面には、「多くの韓国・朝鮮人」が「日本の軍隊・警察・流言蜚語を信じた民衆によって殺害された」ときっちりと書かれていた。地域住民に配慮して加害者をぼかさざるをえなかったこれまでの碑とは様相を異にしている。
石碑の左側に設置されたステンレスプレートには建立の経緯や当時の時代背景を書いた。最後の文章は「犠牲者を悼み、歴史を省み、民族の違いで排斥する心を戒めたい。多民族が共に幸せに生きていける日本社会の創造を願う」と締めくくられていた。
建立地は墨田区八広の12坪の私有地で、両団体が購入。石碑は高さ約1・5㍍、幅1・2㍍。回りには飛び石を置き、周囲をフェンスで囲った。来年にはこれまで荒川河川敷に植樹してきた無窮花を移し替える。
過去30年間近くにわたり、荒川河川敷での追悼式に欠かさず出席してきた亀戸浄心寺の野村盛彦住職が石碑の前に立ち、魂入れの儀式を執り行った。続いて、近隣の住民らが次々に献花した。民団東京葛飾支部からも申正意支団長が出席した。あるお年寄りは、「追悼碑建立によって私たちの気持ちもようやく落ち着いた。毎日、ここを通るから、これからはいつでもお参りできる」と話していた。
これまでコツコツと呼びかけてきた建立募金は約700万円に達した。固定資産税など、維持管理に必要な資金はこれからも募金でまかなう。郵便振替口座は口座名「韓国・朝鮮人追悼碑基金」、口座番号00160‐8‐0603476。
問い合わせは(℡03・3614・8372)西崎雅夫方。
旧荒川河川敷に埋葬
関東大震災のとき、墨田区では本所地域を中心に大火災となり、荒川土手は避難民であふれた。そこに「朝鮮人が放火した」「朝鮮人が攻めてくる」といった流言飛語が飛び交い、旧四ツ木橋では軍隊が避難してきた朝鮮人を機関銃で撃ち、民衆も殺害に加わった。震災直後には、憲兵警察が警戒するなか、河川敷の犠牲者の遺体が少なくとも2度にわたって掘り起こされどこかに運び去られたという。75年ごろ、荒川放水路開削工事の聞き書きをしていた小学校教員の絹田幸恵さんが、お年寄りから虐殺の事実を聞き、82年に「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰霊する会」準備会を発足させ、住民延べ150人から証言を集めた。91年からは追悼碑建立に向けて自治体や国と交渉を重ねてきた。
(2009.9.2 民団新聞)