掲載日 : [2009-10-28] 照会数 : 7302
亡命10年の金玉均 岩内の足跡に焦点
[ 金玉均について説明する坂井弘治館長(中央) ]
郷土館が特別展 「岩内と韓国」
地元団員が掘り起こす
【北海道】岩内町郷土館(ぱとりあ岩内)が来月23日まで開催する「岩内と韓国」と題した特別企画展には、「ライスカレーと明太が結ぶ縁」という「ん?」となりそうなサブタイトルが付き、朝鮮朝末期の開化派指導者、金玉均の北海道・岩内滞在時の書や行跡、人となりにも焦点が当てられている。人気は上々で、地元ばかりか遠隔地からも来訪者が絶えない。
岩内はニシン漁が下火になって以降、朝鮮から技術者を招いてスケソウダラの棒干し加工を学び、明太(ミョンテ)を朝鮮に大量輸出することで大正期から昭和初期にかけての地域経済を支えてきた。その歴史を関連器具やパネルで紹介するのに合わせ、金玉均を特別に登場させた背景には、同町在住の民団員、辛応民さん(63)の執念と働きかけがあった。
金玉均は守旧派打倒を目指した甲申政変(1984年12月)に失敗後、約10年間、日本で亡命生活を送り、北海道には88年8月から約1年8カ月滞在した。玉均の豪快な棋風と書は人気があり、各地名士らの碁会や酒宴に招かれ、求めに応じて書を与えた。
辛さんは42年前、地元文芸誌で、玉均が岩内に滞在し、ある芸者にライスカレーの作り方を教え、それが「岩内のライスカレー事始め」となったとする一文を読んだ。言い伝えが事実であったことを知った辛さんは以来、玉均と岩内にゆかりのある物を探し続け、今年ようやく一幅の掛け軸を発見、これが特別展につながった。
玉均が岩内を訪れた際、開拓使岩内古宇郡役所の初代郡長などを務めた簗瀬真精に贈ったもので、玉均と親交のあった朝鮮の詩人・思想家、姜瑋の七言絶句「道中聞雁有感」を5文字だけ変え、自らの心境を詠った。
豈作 々稲梁計/秋南春北 忙何/只愛寒空如意濶/在泥日少在雲多
札幌史酔会の石村えりこさんは、「餌をとる考えばかりしてどうする、秋に来たりて春に飛び去るのは、そんなにも忙しいからなのか、心いっぱいに開かれた冷たい空を愛するゆえに、泥の上にいる日は少なく、雲の上の日が多いのだろう」と解釈している。
辛さんは「玉均の関連史料は札幌、函館、小樽には多い。だが、岩内は彼が去った1890年と1954年の二度、町のほとんどを焼失した」と語り、「そんな中で発見されたのは、来年に韓日併合100年を控え、有意義だと思う。亡命した玉均が北海道にも足跡を残した事実を広く知って欲しい」と強調した。
(2009.10.28 民団新聞)