掲載日 : [2003-07-30] 照会数 : 3360
一部の日本紙〞検証〟抜きで報道・解説(03.7.30)
韓国戦争休戦協定
〞三位一体〟の「俗論」をただす
「国連軍=米軍」視やめず
「南北平和協定提案」は無視
北韓側の政治宣伝〞うのみ〟に
「6・25」韓国戦争(朝鮮戦争)の休戦協定が締結されてから満50年(7月27日)になる。韓国各紙はもとより日本各紙も「休戦半世紀」特集を組んでいる。だが、残念ながら日本の一部マスコミを中心に「休戦協定の署名者は米朝中の3者であり、同協定の当事者は米朝中の3者である」などといった「俗論」が、いまだにまかり通っている。(編集委員・朴容正)
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1 協定署名者は米朝中3者?
「五三年七月二十七日に米朝中三者が署名して休戦協定が成立した」(23日付日本経済新聞「北朝鮮危機 50年目の緊張」)
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50年6月に北韓軍の全面南侵により開始され、米軍を中心とした国連軍(16カ国)に加えて中国軍まで参戦、3年余りにおよんだ韓国戦争の休戦協定は、板門店で署名された。国連軍を代表してハリソン米陸軍中将、中国・北朝鮮軍を代表して南日・北韓軍総参謀長がそれぞれ署名した。
両人が署名した休戦協定文書は、クラーク国連軍総司令官が?山で、金日成北韓人民軍最高司令官が平壌で、彭徳懐・中国人民志願軍司令員が開城でそれぞれ確認し署名した。
韓国軍は「休戦は国土の分断(固定化)と同義語だ」とし「統一を阻む休戦」に反対する政府(李承晩大統領)の立場を一貫させ、署名しなかった。このように休戦協定の署名者は、国連軍総司令官と、北韓軍最高司令官および中国人民志願軍司令員の3者である。当然のことながら国連軍総司令官は、米国だけを代表して署名したのではない。従って、署名者は「米朝中の3者」とするのは誤りである。
「日本経済新聞」も、2月18日付夕刊の記事(ソウル特派員)では「国連軍、北朝鮮人民軍、中国人民軍が結んだ朝鮮戦争休戦協定」としていた。
「朝日新聞」の場合、23日付「休戦半世紀①」の文中では「休戦協定に署名したのは国連軍(実質は米軍)と朝鮮人民軍、中国人民志願軍の3者」としながら、見出しでは「米朝中が署名」と〞省略〟している。
ちなみに同紙の2月24付記事(ソウル特派員)では「53年の朝鮮戦争休戦協定には米朝中が署名」とされていた。
両紙とも、「米軍=国連軍」であっても「国連軍=米軍」ではないことを無視、あるいは軽視しているといわざるをえない。
結果的に、「休戦協定の当事者は米朝中の3者で、韓国は休戦協定の当事者ではない」という「俗論②」を無批判的に受け入れ、その横行を手助けしている。
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2 韓国は協定の当事者でない?
韓国が休戦協定に直接署名しなかったのは事実だが、国連軍として参戦したすべての国を代表して国連軍総司令官が休戦協定に署名しており、国連軍司令部の指揮下にあった韓国軍はその一員でもあった。
圧倒的に優勢な兵力を有す北韓軍の突然の全面南侵により総崩れ状態にあった韓国軍を建て直し国土防衛にあたるため、李承晩大統領は50年7月、臨時首都大田で駐韓米大使を通じて韓国軍の作戦指揮権を国連軍総司令官に委任した(「大田協定」)。
国連軍側は、韓国軍を含む参戦17か国が統一的司令部を構成、その指揮下にあったので、国連軍総司令官の署名をもって休戦協定の参加が完了した。当然、韓国も米国などほかの参戦国と共に休戦協定の法的当事者となった。
休戦協定は、戦闘行為の停止とそれに伴う捕虜交換などの取り決めが目的であったから、交戦当事者の軍司令官が署名したのであり、また軍司令官の署名で十分であった。協定署名者に韓国の名前がないことをもって「休戦協定当事者でない」とするのは明らかに間違いである。同協定に直接署名したか否かが問題だとするなら、一方の当事者は国連(国連軍総司令官)だけとなり、米国もまた当事者ではないことになる。
金大中前大統領は2000年10月31日の「コリア・タイムス」創刊50周年会見で「休戦協定締結当時、米国のクラーク将軍が署名したが、これは国連軍代表(総司令官)として行ったもので、当時韓国は国連軍の一員だったので当然協定当事者である」と指摘している。
休戦会談で韓国代表を務めた白善・「6・25」50周年記念事業委員長(元陸軍大将)も「(韓国は)休戦協定にサインしなかったのでなく、国連軍の一員として韓国は含まれていた」と強調している(韓国日報7月25日「6・25停戦50周年」)。
なお、北韓側でも北韓軍の総崩れ・敗走に伴い中国人民志願軍が参戦(50年10月)してまもなく、中国軍と連合指令部を構成。北韓の崩壊危機を救った中国側が作戦指揮するようになった。「金日成は名目的に朝鮮人民軍最高司令官のポストを維持したが、作戦の指揮、指導からは完全に排除されることになった」(和田春樹「朝鮮戦争全史」岩波書店)。
だが、同司令部は対外非公開とし、その存在を隠していた。そのため休戦協定には両軍司令官がそれぞれ署名することになったのである。
「俗論①」「俗論②」を前提に、「北韓は一貫して対米平和協定を主張している」という、「俗論③」(北韓側の政治宣伝でもある)を検証することなく、うのみにして繰り返すことになる。
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3 北は終始対米平和協定主張?
「韓国は休戦に反対して協定に署名しなかった。このため、北朝鮮は『朝鮮半島の平和問題は休戦協定に署名した米国と協議する問題』と主張するようになる」(前掲23日付日本経済新聞)
「休戦を拒んだ韓国が署名を拒否したことが尾を引き、北朝鮮はその後、韓国を和平協定の相手として認めず、米国との直接交渉に固執することになる」(前掲23日付朝日新聞)
「韓国の李承晩大統領は統一を望み、調印を拒否した。以後、北朝鮮は韓国を休戦協定にかかわる問題での交渉相手と認めていない」(28日付東京新聞「核心・『朝鮮戦争休戦50年』)
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確かに今日、北韓は「韓国は休戦協定の当事者ではない」かのように喧伝し、米国との間で休戦協定に替わる平和協定の締結、もしくは暫定的に不可侵条約を結ぶことを主張している。
だが、北韓が対米平和協定を主張するようになったのは、韓国(朴正煕大統領)が「南北不可侵協定の締結」を提案(74年1月)した直後の74年4月からのことである。
それまでは韓国を「休戦協定の当事者」とみなし、平和協定の締結を米国にではなく韓国に呼びかけていた。
たとえば、72年1月、北韓の金日成主席(当時首相)は日本の読売新聞記者との会見で「朝鮮での緊張を緩和するためには、なによりも朝鮮休戦協定を南北間の平和協定に替える必要がある」と強調している。
南北の自主・平和・民族大同団結の統一3原則を盛り込んだ「7・4南北共同声明」発表の翌年、73年4月の最高人民会議では「南北平和協定5項目提案」を行い、同年6月の「祖国統一5大綱領」(金日成主席発表)でも南北間の平和協定締結を提唱していた。
韓半島での戦火再発防止と協力拡大へ南北間の緊張緩和と信頼構築を図るための「7・4南北共同声明」や「南北基本合意書」(92年2月発効)など「南北間合意」を反古にし、しかも平和のための韓国の対話・協議呼びかけに背を向けた北韓の対米平和協定論は、自らが唱える「民族自主」「わが民族同士解決」に逆行するものにほかならない。
今、南北間で最も緊要な「民族共助」は、韓半島での戦火再発の脅威を除去するための南北平和体制の構築である。
(2003.7.30 民団新聞)