掲載日 : [2003-12-10] 照会数 : 3504
国宝級の金銅冠など出土 漢城百済の公州支配力立証(03.12.10)
[ 忠南公州市儀堂面で発掘された百済古墳の調査 ]
[ 金銅製冠など多数の遺物が出土した古墳 ]
忠南公州で武寧王陵以来最大の古墳群発掘
4世紀末〜5世紀初の築造
忠清南道公州市の儀堂面水村里にある墓室から金銅の冠2点と金銅履き物3足が出土した。今回の発掘は71年に武寧王陵が発掘されて以来、最大規模の百済遺跡だ。
今回発掘された墓は、百済が漢城(今のソウル)を首都とした5世紀の初めに集中築造されたと推定されている。金銅冠と金銅履き物の一部は、同じ墓から一緒に発見され、中国製青磁3点も共に出土した。これで4世紀後半から5世紀初期から中期の間、熊津(今の公州市一帯)に相当大きな勢力と基盤をともなった地方勢力が存在したことが立証された。
忠南発展研究員は2日、公州市が造成中である儀堂農公団地から6つの百済古墳を発掘したと明らかにし、大規模古墳の概要を説明した。
これによると、構造から見てこれらの古墳は、穴を掘ってその中に木槨と木槨を安置した土擴3つ、石で築造した横句石室墳1つ、墓方に連結する入口をそろえた横穴式石室墳2つ。
これらの古墳の中で、木槨墓の1号墳では金銅冠と金銅履き物がセットになったまま環頭大刀などと共に出土した。
横句式石室墳である4号墳では金銅履き物1足が床に置いたまま環頭大刀と共に出土した。また横穴式石室墳である5号墳では中国製青磁3点および三角形の穴を突き抜けた土器と一緒に金銅履き物1足が、やはり冠とセットになっていた。
これと関連して、文化財委員であるチョ・ユジョン博士は「漢城百済時代に、すでに公州の近隣に金銅履物を履くほど強い勢力が形成されたという証拠」と述べ、初期百済史に対する新しい研究が後に続くべきことだと評価した。
今回の発掘は韓国の考古学界の通念をくつがえした。考古学界は、出土した遺物のうち、時期区分の尺度になる中国製陶磁器は中国東晋時代(317〜419年)の陶磁器のため、水村里古墳群は西暦4〜5世紀のものと見ることが妥当だと明らかにした。これらは漢城百済期の公州土着勢力が中国と直接交流をしたことと見るには難しいために、百済が中国陶磁器など珍しい金銅製品などを与えながら、この地域を間接支配した証拠と見られると指摘した。
(2003.12.10 民団新聞)