掲載日 : [2004-02-04] 照会数 : 2939
「歴史を伝える運動」写真収集を終えて(04.02.04)
[ 解放前に青森に移住してきた3姉妹と親せきの女性を撮した写真 ]
在日韓国青年会中央本部副会長 李恭孝
秘められた逸話に〞歴史〟
在日の歩みを凝縮…改めてルーツの大切さ実感
2000年から青年会は「われわれの歴史を伝える運動」を推進しており、今年度は全国の地域における写真・映像収集を実施した。
一昨年に作成した「中間報告書」の内容を補完するためである。「中間報告書」は視覚的な資料としては物足りなさがあり、今後幅広い世代や地域に活用される資料としては不十分と言える。そこで、視覚的な資料としての写真を収集することにした。
西東京・青森・佐賀・山口・新潟を巡回するキャラバン隊を組んで写真を収集した。残る地方は、各地方の青年会が担当する形となった。昨年十月にスタートし、各地団員宅を訪問し、写真の説明を聞きながら収集した。
短期間では地域の特色がわかるような写真収集は困難であったが、一枚一枚の写真には、その人物や家族の歴史をうかがいい知る、貴重な逸話があった。
青森県では、解放前からリンゴ農家を営み、解放後はタクシー事業も興して、2つの職業を今も続けている同胞のお宅が印象深かった。提供していただいた写真は、渡日間もない頃の3姉妹を撮影したものだった。3姉妹は、後にそれぞれが結婚し、またその子らが、結婚・子を授かるといった具合に一族が増えていった。青森県西北部に位置する町で撮られた一枚に、このような『歴史』があったのだ。
次の巡回地、佐賀県では福岡県から転居し、今も佐賀市内で焼肉店を経営する同胞がいた。写真を提供して下さった方の父親(故人)は、民団の活動に熱心な方で、毎日のように自家用車で団員宅を戸別訪問した。民団と団員との関わりを持たせることに、苦心したそうである。その熱意が伝わってくるような、在日同胞の法的地位に関する民衆要求大会時の写真が残されていた。
巡回当初は、写真自体のインパクトで、収集するか否かの判断を下しがちであったが、写真に隠されている、『歴史』を探ることや家族の思い出を知ることが、とても楽しくなってきた。
しかし、『歴史』はあるが、それを物語る写真を見つけられなかったケースもあった。
それは、山口県でのことだ。山口県には宇部市・小野田市といった炭鉱跡が多い町がある。そのなかでも、宇部市にある「長生炭鉱」には、悲しい歴史がある。海底にあったこの炭鉱は、1942年の事故で183人の犠牲者が出た。(うち133人が同胞だと思われる)今に至るも、遺体は引き揚げられず、海の底に眠ったままだ。
短い滞在期間だったとはいえ、是非ともこの長生炭鉱に関連のある写真を手に入れたかった。また、機会があれば訪れてみたし、もし保存されている方がいれば、提供してほしいと願っている。
新潟県では最も多くの写真が収集できた。最も印象に残っている写真は、三輪車に跨る幼児を撮影したものだ。その写真にはこんな歴史があった。解放前に一家で新潟県へ疎開して来たものの、韓半島から日本へきた在日同胞には、親戚縁者がいる田舎などは存在するはずもない。そこで「無縁故疎開」というかたちで新潟県へと移り住んだ。短期間とはいえ、慣れ親しんだ土地から、見知らぬ土地へ転居を迫られた苦労が偲ばれる。
この運動では、聞き取り、映像を撮る、写真を集めることで1世たちが歩んできた道を辿ってきた。今年度は、「写真」という媒体を介して歴史を紐解いていった。同じ歴史でも、いろいろな方法を用いたことで、随分感じ方が違った。それらを出版物・映像集にまとめて残していくことが、「歴史を伝える運動」の目標の一つである。
この運動をはじめた動機に、ルーツの大切さを伝えていくことがあった。それは、青年会を担っている、3世・4世の責務だと考えている。
これからも、全国に眠っている「世界に一枚だけの写真」を集めたい。全国の読者の方に、是非ご協力をお願いしたい。
最後に、活動に協力をしてくださった、各地方の民団役員の方々や団員、関係者へこの場を借りてお礼を述べたい。
約2カ月をかけて巡回して収集した写真の一部は、2月7日から11日までの期間に開催される「民団フェスティバル」の写真展で展示される。
(2004.2.4 民団新聞)