掲載日 : [2004-05-26] 照会数 : 2856
北送・人道名目の追放だった 明大助教授が59年文書で裏付け(04.5.26)
本音は「治安上」の理由…日本政府
北送事業とは「人道主義の名を借りた在日同胞に対する日本政府による体のいいやっかい払い」とするこれまでの説が、このほど公開された日本の外務行政文書で改めて裏付けられた。この文書は明治大学情報コミュニケーション学部の川島高峰助教授が情報公開法に基づき、開示請求していたもの。
川島助教授は01年8月20日に外務省情報公開室を通じて開示請求を行っていた。この結果、03年10月31日までに総数にして約2000㌻におよぶ文書が公開された。
川島助教授はこれらの文書のうち、日本政府が北送事業を閣議了解した59年2月13日前後から朝日両赤十字がジュネーブ会談を開始した4月13日までの、帰国事業の意思決定で重要だと思われる文書約550㌻について分析した。
なかでも「閣議了解に至るまでの内部事情」と題した極秘文書は今回、初めて明らかになったもので注目を集めた。同文書からは韓国政府の猛反対にもかかわらず、「人道」の名のもとなんとか在日同胞の北送事業を急ぎたいとする日本政府の「本音」が透けて見える。
いちばんの動機は「治安上」の理由だった。同文書は「在日朝鮮人の犯罪率は日本人の約6倍」と指摘、「本問題の早期処理を必要とする段階になる」と説明。生活保護世帯も1万9000世帯8万1000人で、年額17億円の経費が国庫と地方の負担となっていると露骨に在日同胞への忌避感をにじませている。
再入国への言及なし
在日同胞の北送事業を推進するため、北韓と交渉していた日本赤十字社の井上益太郎外事部長がジュネーブから日本側に送った電報(59年3月24日付)によれば、井上外事部長は、「帰還者」の「意思確認」を重視。乗船直前まで確認作業をする必要性を説き、「帰国条件を正しく理解しているか?(殊に再び日本に来られないことを知っているか?)」などを問う必要性を説いているが、実際は十分な確認作業は実行されなかったとみられている。
川島助教授は「今回明らかになったどの公開文書を読んでも、再入国できるとは書いていない。まったくのワン・ウエイだった。しかも、帰還条件の重要な案件である帰還先での待遇について調査された形跡も確認できていない。(日本政府は)日本社会における既存の朝鮮差別を改善するのではなく、差別対象そのものが減少することを選択した」と締めくくった。
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北送事業とは
59年12月14日に第1次船が975人の在日同胞らを乗せて清津港に出航したのが始まり。以後、67年12月まで155回にわたり計8万8611人が北に渡った。いったん中断したものの、71年5月に再開されその数、9万3000人(日本人配偶者を含む)に達した。50年代、極度の貧困と差別のため、在日朝鮮人は日本で暮らすことに困難を感じていた。それに乗じて総連は「(朝鮮民主主義人民共和国は)教育も医療も無料の社会主義祖国」「地上の楽園」などと事実に反するキャンペーンを展開した。
民団は59年12月、「在日韓国人北送反対闘争中央委員会」の名前で声明を発表。「在日韓国人の強制追放を計画した日本の政策に便乗し、実行したこの悲劇的な事態に直面し、実に民族愛と同胞愛からこみあがる憤慨を禁じることができず、全世界の公正な世論に対してこの問題の非合法性を再び訴え」た。
(2004.5.26 民団新聞)