掲載日 : [2004-07-14] 照会数 : 2819
朝・中の高句麗遺跡が世界遺産に 帰属紛争沈静化せず(04.7.143)
東北アジアの平和安定へ
急がれる共同研究
古代朝鮮3国の一つである高句麗(紀元前37〜668年)の史跡群二つがユネスコの世界文化遺産に登録された。高句麗は韓半島北部から中国東北部に君臨した国家だけに、史跡も北韓と中国にまたがっている。両国で「本家」をめぐる攻防があり、一足早かった北韓の登録申請が昨年、中国の反対で見送られたこともある。北韓申請の「高句麗古墳群」と中国の「高句麗首都と王陵、そして貴族の墓」が個別名称で同時認定されたのは、そうした経緯からだ。
それはともかく、北韓で「世界的に保存価値がある人類の文化遺産」が登録されたのは初めてであり、これをきっかけに北韓が近隣諸国との文化交流を深め、国際社会との結びつきを強めることになれば、との期待が高まっている。また、ユネスコ世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡委員会が、将来は朝中両国が共同登録するよう提言し、これを中国側が前向きに受けとめていることから、韓・朝・中3国による史跡の保存協力と共同研究が進展する可能性もでてきた。
だが、前途は多難なようである。高句麗とそれに続く渤海の歴史上の帰属や朝中国境問題をめぐって、南北韓と中国との認識の違いは埋まっておらず、中国が02年に立ち上げた「東北工程(東北辺境地域の歴史と状況に関する研究プロジェクト)」のめざましい進展にともない、むしろアツレキが強まっていた。とくに、韓国の反発は強い。
「人民日報」や「新華社通信」をはじめとする中国のマスコミは、高句麗遺跡の世界遺産登録について報道した際、北韓地域の遺跡登録についてはほとんど触れず、「高句麗は中国古代の辺境少数民族の政権」であり、「民族的な特色のある文化を創ったが、中期以降は中原文化の影響を強く受けた」などと強調した。
また、中国外交部がホームページで韓国の歴史を紹介する部分に、これまでは「西暦1世紀前後、韓半島一帯で新羅、百済、高句麗という3国が出現した」と記されていたにもかかわらず、世界遺産登録が決定した後、「高句麗」の文字が消えたと報道されている(朝鮮日報7月9日付)。
こうした中国の動向に対し、外交通商部の朴興信文化外交局長は、「高句麗を中国史の一部に編入しようとする主張は、決して認められないというのが政府の確固たる立場だ」と明らかにするとともに、「政府はこれまで、この問題は学術的次元で扱う問題であるとの立場を守ってきた。中国政府もこれに全面的に共感していた」とし、「今回の中国官営メディアの主張について、政府の方針が変わった表れなのか、近く外交ルート通じて把握するつもりだ」と表明した。
韓国のマスコミは「東北工程」開始以来、「檀君王倹からの5000年の歴史がわずか1300年余に縮小され、歴史上、わが民族の最も誇らしい国家だった高句麗が一瞬にして『消え去った王国』となった」(東亜日報03年7月27日付)などと悲憤慷慨の論陣を張ってきた。政府もこうした論調に背中を押された格好だ。
高句麗は新羅、百済と同じ扶余ツングース族であり、漢族とは明らかに異なる。後3国を統一した高麗も高句麗の継承国家であることを鮮明にした。しかし、韓半島と中国大陸にまたがった高句麗の帰属問題は、現実的な問題も絡んで一筋縄ではいかない面がある。
半島と大陸の統一王朝や諸勢力の版図は南北に上下し、とくに北間島(現在の延辺朝鮮族自治州)をめぐっては、朝鮮と清の紛争に決着がつかないまま、日本の中国侵略と東西冷戦下の朝中血盟関係によってあいまいにされてきた経緯もある。韓国には北間島をわが領土とする意識も根強い。一方の中国には、韓国指向を強める朝鮮族と脱北者問題を抱えて神経質になる事情がある。
現在の国境をそのまま古代に投影することも、古代民族の領域をストレートに現在に結びつけることも許されまい。だとすれば、今後さらに揺れ動くことが確実な東北アジア情勢をにらみ、この地域の安定と平和を確かなものにする価値観を優先しつつ、お互いの国がどう形成されてきたのか、共同研究を急ぐべきであろう。
(2004.7.14 民団新聞)