掲載日 : [2008-05-28] 照会数 : 7798
様変わり 同胞社会の葬儀(上)
[ この道40年の松村敏彦さん ]
[ 大阪・生野区で在日同胞の葬儀などを取り扱っている「交信社」 ]
消える伝統の「お別れ」
「家族葬」が増えて
本貫さえ知らない遺族も
時代の流れのなかで、在日社会の葬儀の形が大きく変化している。韓国では都心部を中心に伝統的な儒教式の葬式は簡素化されているが、同胞社会でもそれは例外ではない。1世の多くが亡くなるなかで、葬儀文化の継承も難しくなってきた。また民族の誇りを持ちながら生きた1世とは異なる、2世以降の多様な考えや生き方がそこには反映しているようだ。長年にわたり、同胞の葬儀にたずさわってきた関係者に現状について聞いた。
減少に加速本国式葬送
大阪・生野区で在日韓国人の葬儀になくてはならない存在として知られるのが、葬儀社「交信社」代表の松村敏彦さん(61)だ。松村さんが亡くなった父親の跡を引き継いで40年。4代目として多くの同胞たちの葬儀をはじめ、民団葬にも裏方として徹するなど、同胞と深く関わってきた。
生野に住む在日韓国人の8割が済州道出身者だという。韓国式の葬儀は20年前までは頻繁に行われていたが、今はほとんど見られなくなったと話す。当時、1世たちは「日本で亡くなっても故郷の墓に埋葬してほしいという要望が強く、済州道や慶尚道などに空輸し、埋葬に何度も立ち会ってきた」。
この間、風習や慣習の異なる韓国式の葬儀を行ううえで、数々の苦労もしてきた。例えば、日本では有名な暦注の一つで、吉凶を見るとき六曜を用いるが、儒教式である韓国では干支で見る。
暦こだわり苦労は昔話
「在日1世で済州道出身の方たちは、特に亡くなった方の干支を見て、残った家族に災いがおよばないようにと故人の入棺や出棺にこだわった。そのために故人を前に長い時間、待たされたり、ほかの葬儀が重なって予定がつかないこともあった。それなら自分で覚えようと韓国で暦を手に入れて猛勉強したことで、この苦労から少しずつ解放された」
さらに韓国式では「通夜」がもっともにぎやかになるが、当日は済州道出身の巫女を呼んで祈祷してもらい、弔問者に食事を振る舞うなど、心のこもった対応を行っていた。
現在、韓国ではこの通夜をほとんどの場合、病院の葬儀場で行っており、3日間におよぶ葬儀(3日葬)を2日葬にするケースも出てくるなど、形態そのものが変わっている。
時代の流れとともに近年、松村さんはがっかりすることが増えてきた。柩にかける赤色の布がある。あの世に入るときの名刺代わりになるといういい伝えから、布に故人の本貫を書く。松村さん自身、在日にとってこの本貫がどれだけ大事なものであるか同胞たちから教えられてきた。「ここ数年、自分の本貫を知らない若者が増えてきた。たとえ帰化をしても親の本貫は知っていてもらいたい。まさにそこが自分のルーツだからです」と言葉を噛みしめる。
これは衣裳にも通じるようだ。韓国では還暦を迎えたら子どもたちが寿衣を用意する習慣がある。寿衣は亡くなった方が着る衣裳だが、今ではこの寿衣を知る同胞も少なくなった。さらに弔問客と区別するため、遺族の着用する伝統的衣裳を見る機会も減っている。
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しがらみ、わずらわしさ
3世以降は忌避傾向
松村さんは40年間の同胞たちの関わりの中で、世代間のギャップを感じてきた。これは日本人にも共通するが、在日のなかでも家族葬が増えている。第1位は経済的理由、次は子どもたちが親や祖父母の時代に逆のぼってまでの付き合いをしたくないという理由だ。
香典の辞退当たり前に
2世の場合は1世の親の背中を見ているため、そのようなことはあまりないが、3世以降になると過去のしがらみや、わずらわしいことは極力避けたいという思いが強い。このような背景から、香典は辞退し受け取らなくなっていると話す。
こうした流れからか、以前は出棺の際に料理を乗せたサンという膳も、「もういいから」と用意することも少なくなってきている。「長男はうろ覚えでも知っている方はいるが、今の若いかたはほとんど知らない。私は知らない方には教えるようにしていますが、費用もかかるし、時間もかかるので省く人は多い」
同様に済州道出身者が、毎月1日と15日に膳に供物を並べて行う祭祀「サッチェ」自体も、多忙な生活のなかでなくなりつつあると話す。
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同胞社会の祭事文化が大きな節目を迎えている。韓国には「孝」を重んじるとともに、親や祖先を敬う儒教の精神は残りながらも、その変化は加速化している。
なかでも過酷な環境で生き、韓民族として生きた1世たちの証しや思いをくみ取り、最期をどのように見送ったらいいのか。
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ピンソの習わしも今はなく
ピンソ(殯所)は往時の両班家で行われていたもので、故人の仮の住まいとして部屋の一角に神聖な場所を設けた。手前の椅子のうえに位牌を置き、その奥の台にはタラや果物などを供え、1年目の命日「小祥(ソサン)」から2年目の「大祥(テサン)」が終わるまでの丸2年間、朝、昼、晩の3回、故人に食事を供え、祭礼を行ったという。
この間は生きている人と同じように故人を敬う習わしだった。生野区でも形式は異なるが、30年ほど前まではどこでも見られる風景だった。しかし、住宅環境の変化などもあって現在はほとんど行われていない。
(2008.5.28 民団新聞)