掲載日 : [2008-10-01] 照会数 : 4580
南北関係の現状と今後の望ましい方向性(上)
[ 07年12月から開始された開城工団との貨物列車運行 ]![](../old/upload/48e302f19790e.jpg)
過去10年 韓半島の平和と統一に何がもたらされたか
金・盧両政府 対北政策の評価
最近10年の間に韓半島状況は大幅に変化した。金大中政権(98年〜03年)の太陽政策(対北包容政策)と盧武鉉政権(03年〜08年)の平和繁栄政策が施行された間に、南北の交流協力は従来になく進ちょくした。南北合作の開城工業団地が稼働し、金剛山観光に190万人が訪れ、南北の鉄道と道路が連結された。前向きの変化である。しかし半面、北韓は核実験を強行して核兵器保有を豪語し、長距離弾道ミサイルと韓半島全域を射程内に置く中距離ミサイルの発射を反復した。後ろ向きの変化である。そして今年7月金剛山で韓国の女性観光客が射殺され、いま金剛山観光も南北対話もまた中断された。北韓・金正日国防委員長が脳卒中で一時倒れたと伝えられ、韓半島の緊迫が高まっている。この10年を検証して、平和と統一のために何が求められるかを考えたい。
(民団中央本部平和統一推進委員会・小委員会)
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交流・協力の進ちょく度
大型供与で平和買う
対北支援5兆ウオン 信頼の構築は前途多難
南北対話の拡大
この10年の前向きの変化を振り返ってみよう。
まず、南北当局の対話が拡大され、かつてなく頻繁に実施された。
分断後初めての南北首脳会談が2回行われた。金大中大統領の訪北(00年6月)と盧武鉉大統領の訪北(07年10月)による金正日北韓国防委員長との会談である。これによって首脳会談を南北間の最高協議および問題最終解決の場とする先例がつくられた。その意味は重要である。
ただし、金正日委員長訪韓の約束は履行されず、首脳相互訪問と定期開催は今後の課題として残った。さらに、後述するように00年首脳会談には重大問題が存在し、07年首脳会談も実質に乏しかったことは否定できない。
ともあれ、首脳会談を受けて南北長官級会談が21回にわたって開かれ、当局間対話の最長寿を記録した。
この会談で開城工団、金剛山観光活性化、南北鉄道・道路連結、離散家族再会などの大枠合意がなされ、これを受け次官級の南北経済協力推進委員会(13回)などの会談・協議が開催された。
これらにも関連して、当面問題に関して軍事分野の対話が行われた。計2回の南北国防長官会談が開かれ、将軍級会談が9回、佐官級の実務協議が22回実施された。
ただ、これらの対話もたびたび中断が生じ、それらの打開へ韓国から特使が3回派遣された。
交流協力の前進
こうした対話によって南北交流協力はかなりの前進を示した。その主な内容は次の6項目である。
第1に、平和確保面だ。
南北艦船が2回も砲撃戦を繰り広げ、大きな人命被害を出したこともある西海問題で一定の解決をみた。
6・25韓国戦争以来北韓も順守してきたNLL(北方限界線)について、北韓は第一次西海海戦(99年6月)後、その変更を頑強に主張してきた。しかし、92年2月発効した南北基本合意書の規定通り「相互に管轄してきた区域を尊重する」こと、警戒線の変更は今後協議することで合意した(07年11月、南北国防長官会談)。偶発的衝突防止のため、南北艦船共通の周波数による無線通信も開始された。
しかし、本格的な軍事信頼回復や軍縮への前進はなく、金剛山での女性観光客射殺事件での事実調査も北韓は拒否した。 第2に、この10年の交流協力の象徴ともいえる開城工団の稼働である。
第一段階百万坪の工業団地敷地と基盤施設が完工し(07年10月)、韓国中小企業79社の工場が稼働した。北韓労働者3万2000人(08年8月末現在)を雇用し、07年の年間生産高1億8000万㌦、輸出高は4000万㌦となった。
開城工団の第一段階は、入居250社を目標に南北合弁を軌道に乗せるものだが、第二段階は200万坪の造成、第三段階は500万坪を建設する構想だ。第一段階の順調な滑り出しで、開城工団が北韓経済再建の水先案内となることが期待される。
第3に、南北交流協力拡大の糸口となった金剛山観光の活性化である。 03年9月から連結された東海線臨時道路による陸路観光が開始され、ホテルなどの関連施設も新築されて観光客数は08年6月末で累計193万人となった。金剛山はまた離散家族再会や南北対話、南北民間団体交流の場ともなっている。
第4に、鉄道・道路の連結である。
鉄道は京義線の 山‐開城27・3㌔、東海線の猪津‐金剛山25・5㌔が07年5月開通した。京義線は軍事境界線をまたいで開城工団との貨物列車運行が07年12月から始まったが、東海線は未運行だ。
道路は京義線が統一大橋‐開城12・1㌔が03年10月連結され、平日朝8時30分から夜10時まで開城工団との通行が実施され、東海線は04年12月松 里‐北高城24・2㌔が開通し金剛山観光に利用されている。
これら開城工団、鉄道・道路連結、金剛山観光などを通して、北韓側は利益があれば交流協力に応じ得ることをテストできたといえる。
交流協力成果の第5は、離散家族再会の増加だ。
南北赤十字会談が9回、金剛山での集団再会が16回実施され、計3378件1万6212人が再会を果たした。だが、あまりにも長期間の断絶で500万人といわれた韓国側離散家族は、公式登録者数で生存9万3000人となり、また再会した家族の再結合の展望は全く立っていない。
さらに6・25韓国戦争時の韓国軍捕虜1770人や戦後北韓に拉致された480人の帰還目途も立っていない。
交流協力成果の第6は、人的・物的往来の増加だ。
07年の南北交易高は17億9000万㌦で97年の5・8倍、金剛山観光を除く人的往来も07年15万9000人となり97年の156倍に拡大した。スポーツ、文化、社会、さらに政治性を帯びた6・15記念行事など民間人往来が活況を呈した。
こうした往来で韓国国民が北韓を従来よりも身近に感じることができた。
では、こうした南北対話と交流協力の進展がなされた要因は何だろうか。
対北支援の膨張
その最大の要因は北韓に対する物資と現金の大型支援である。
対北支援の金額に関する明確な統計は見当たらないが、各種資料から積算すると、別表のように98年〜07年の10年間で約5兆ウォンにものぼる。有償支援というのも、10年据置20年返済・金利1%で事実上の無償支援だ。対北支援額は5兆ウォン〜7兆ウォンとの説もある(民間研究機関)。
このほか対北軽水炉供与事業で、韓国は1兆3000億ウォン(当時の基準で11億4600万㌦)を負担したが、事業の解消で北韓の土に消えた。
これらの大部分は南北協力基金および国策銀行からの融資によって支出されており、韓国国民の税金で支払ったに等しい。
振り返ってみれば、この10年間、北韓核危機にもかかわらず、南北間では2回の西海海戦を除けば大きな流血事件はなく平和を保った。
韓国は巨額の対北韓支援で、平和を買った格好だ。交流協力の進展による今後の本格協力の可能性のテストとともに、である。
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実質的な進展は
核・ミサイルで逆行
飢餓よそに先軍政治 韓国の「同族協力」利用
「核保有」を豪語
だが、韓半島の平和と統一という根本目的に向かって、実質的な進展としては果たして何があったのか。
北韓は06年10月核実験を強行し、核兵器保有を豪語するに至った。6者会談合意により北韓が今年6月26日、議長国の中国に提出した核申告によれば、北韓は核実験使用や廃棄分を除き兵器用プルトニウムを26㌔㌘(他に核燃料棒内に8㌔)保有する。核兵器6〜7発分に相当する。
この申告には核兵器が含まれず、また第二次核危機の発端となったウラン濃縮も除外されている。
ウラン濃縮は、時間はかかるものの原子炉や核燃料再処理施設が不要で、比較的小規模な施設で北韓に埋蔵する天然ウランを使って、隠れて兵器用ウランを生産できる。
そして北韓は、6者会談の合意により米国がテロ支援国家指定の解除手続きに入ったことから、寧辺の核施設の無能力化に着手した。
しかし、核申告内容に対する厳格な検証を拒否し、さる8月26日無能力化中断を発表、9月22日IAEA(国際原子力機関)に核施設の封印解除を通告し、核施設復旧を開始した。
この10年、北韓はまたミサイル開発に拍車をかけた。98年8月日本の上空越しに長距離弾道ミサイル・テポドンを発射したのに続き、06年7月にはテポドン1発および中距離ミサイル・ノドンなど6発を集中発射し、その前後にもミサイル発射を繰り返している。
ノドンだけでも射程距離500㌔、韓半島全域を射程に収める。そのノドン200基以上の配備を完了したとみられる。
食糧・経済危機
一方、北韓の食糧・経済危機は出口が見えない。
95〜96年の大洪水後、マイナス成長に陥った北韓経済は、一時プラス成長に転じたが、最近またマイナス成長に転落した。
韓国銀行がさる6月発表した07年の北韓GDP(国内総生産)推計によると、成長率は前年比マイナス2・3%で、再び水害による20%もの穀物減産が響いた。
FAO(国連食糧農業機関)はさる4月、北韓の今年の食糧不足は166万㌧にのぼるとして、国際社会に人道支援をよびかけた。
北韓は山地が多く耕地面積に不足するため農業だけで食糧を自給するのは、構造的に不可能だ。製造業生産物で外貨を稼ぎ、食糧を輸入しなければならない。その生産施設の稼働率は現在25%以下というのが定説だ。
こうして、95年に北韓の食糧危機が表面化して以来、韓国、中国、国際社会の食糧支援にもかかわらず、13年後の今も北韓人民の餓死と飢餓は解決してない。
北韓の07年のGDPは203億㌦で韓国(9,699億㌦)の43分の1、北韓の1人当たり国民総所得(GNI)は韓国ウォン換算で107万ウォン、韓国(1,862万ウォン)の17分の1である(韓銀推計)。
先軍政治の異常性
より根本的な問題が北韓の異常な先軍政治だ。 先軍政治は、「強盛大国」推進の手段として、98年9月北韓憲法を改正し、金正日党総書記が国権の最高責任者である国防委員長に就任してから全面的に展開された。
金正日委員長の説明では先軍政治とは、社会主義国家の崩壊は党の変質に原因があり、従って最も忠実な軍を国家の根幹に据え、軍事優先で体制を守護する‐というものだ。
つまり、食糧・経済危機で麻痺した党・行政組織を、唯一動員可能な軍によって動かし、軍事力強化・軍隊式施政で切り抜けようというものだ。 この政治路線により予算や食糧は優先的に軍に配分されている。北韓の軍事費支出はGNP(国民総生産)の30%に迫るというのが定説である。 軍事優先とは民生圧迫と同じだ。簡単にいえば、経済危機下で、北韓人民の餓死や飢餓と引き換えに莫大な資源を投入して核・ミサイル開発に熱中したのが先軍政治だ。
先軍政治は、平和と統一および北韓の経済再建に逆行する。
先軍政治は危機脱出のための一時的な策と観測されたが、すでに10年も継続され、病が膏肓(こうこう)に入った恐れが強い。金正日委員長の脳卒中(9月10日、韓国国家情報院)が伝えられた現在、なおさらだ。
住民と交流できず
政治の成否は結果をもって問われる。
大型の対北支援を投入して、かつてない活況を呈したかに見える南北交流協力は、その結果として平和と統一に本質的な前進をもたらしたのか、根本的に疑問である。
確かに平和を買うことはでき、交流協力のテストはできた。だが、巨額の対北支援は、核・ミサイル開発と先軍政治を支援する結果となったと言わざるをえない。
そして、北韓の対応は、民族共同体の回復を図るのではなく、南韓を北韓権力維持・強化のために利用するものであった。
南北交流の過程で多数の韓国民間人が北韓を訪れた。
しかし、厳しく制限された金剛山はもとより、ミルク、医療、食料援助、パン工場建設などのために北韓を訪問した人々も、北韓の一般住民と同胞としての交流は、ほとんどできなかった。
忘れてはならないのは、対北支援の大部分が、対象とする北韓住民に渡っていない事実だ。
配給確認は困難
脱北者らの証言によれば、韓国のコメが港に着くや否や90%以上が2号倉庫(軍備蓄米倉庫)に移送されてしまう。長年北韓を観測してきた中国人民解放軍大佐も、食糧援助のほとんどは①軍戦略備蓄倉庫②110万人北韓軍将兵の食糧③ヤミ市場への横流し‐という3つのルートで消えると証言している(綾野=チェ・リン著「中国が予測する“北朝鮮崩壊の日”」文春新書)。
韓国政府の行った配給確認も一時的な立ち会いだけであり(「統一白書」)、食糧支援が借款として北韓の管理下に譲り渡されたことも厳格な配給確認を困難にしたとみられる。
(2008.10.1 民団新聞)