掲載日 : [2008-10-01] 照会数 : 7774
韓国要人拉致の実態明らかに
脱北詩人張真晟氏 月刊『新東亜』に発表
「黄長氏亡命に激怒、金委員長が報復指示」
脱北詩人の張真晟氏が、新政治国民会議の金大中総裁(97年当時)の側近だった呉益済氏(同会議創党発起人)の拉致の実態を、張チョルヒョン名で月刊『新東亜』(08年10月号)に明らかにした。事実公開に4年の時間がかかったのは、盧武鉉政府の対北政策に反するいかなる証言も公式にできないよう統制されていたからだという。同誌によれば、黄長前労働党秘書の亡命に激怒した金正日国防委員長(以下委員長)が、韓国人要人の拉致を指示したという。その要旨を掲載する。また、張氏は、民団中央本部でも話をした。
北韓統一戦線事業部(以下統戦部)は、韓国との対話、交流も対南工作の延長線で推進する対南工作部署で、韓国内の親北・左翼組織を管理しており、直接影響力を行使する。
黄秘書が亡命した97年は、数多くの餓死者が発生した「苦難の行軍」の時期だった。国家保衛部は金正日委員長の指示通り、黄秘書を捕まえるか、現場で刺殺しようと、海外公館まで総動員したが、現場報告は「不可能」ということだった。
97年3月中旬、金正日委員長は対外連絡部長、作戦部長、統一戦線事業部長、35号室部長を呼び、「黄長クラスの南韓人士を拉致せよ。この機会に党の対南工作部署長らの能力を検証する」と直筆でサインした。統戦部交流課に直ちに任務が下された。統戦部1課は親北及び左翼団体を管理し、韓国の全教組、民主労総、汎民連、統一連帯の担当組織だ。
自発的な越北にするためには、越南者出身であるか、北韓に縁故者がいる人でなければならないという理由で標的にされた呉氏を誘引するため、本妻と娘、老母の写真を撮ることになった。
だが、「越南者」の縁故者であるため、最悪の暮らしでまともな服もなく、祖国平和統一書記局(祖平統)の要員らが、日本にある統戦部傘下のカンナム貿易会社で古着を準備した。統戦部56課は朝総連担当課であり、朝総連の基地を利用した外貨稼ぎの会社も持っている。
次に祖平統は、韓国の作家や詩人の名義で新聞、映像、小説、詩集などを偽装制作し、70年代から韓国の民主化運動陣営や学生運動に浸透させることを主な業務とする101連絡所に、呉氏の妻と娘の名前で手紙を書くように指示した。
97年5月頃、統戦部の手紙は、韓国内の35号室の工作員を通じて呉氏に渡された。工作員は「妻と娘に中国で会わせる」とおびき出した後、北韓行きの列車に乗せることに成功し、統戦部が作った脚本通り、呉氏は平壤駅で短い「越北声明書」を発表させられた。
しかし、金正日委員長は「金大中ならいざ知らず、呉益済は黄長ほどの人物でない」と憤怒しながら、韓国の政局を継続的に揺さぶるよう指示した。
北韓は金正日委員長の満足のため、多くの南側の人々や日本人を拉致してきて、今もそのような国家的犯罪を隠蔽するため汲々としている。
(2008.10.1 民団新聞)