掲載日 : [2008-10-01] 照会数 : 7800
歴史は重い 「大阪特別展」反響広がる
[ 姜徳相館長を迎えての記念セミナー(9月21日) ]
交差する懐しさと衝撃
主要都市巡回望む声も
【大阪】セピア色に変色した家族写真、本名を消された通信簿、「朝鮮人登録証」などが在日100年の歴史を雄弁に語りかけてくる。来場の在日同胞は忘れかけた記憶を呼び戻され、日本人は初めて知る事実に衝撃を隠せない。在日韓人歴史資料館「大阪特別展」の会場となった大阪人権博物館に静かな反響が広がっている。来場者の声を集めた。
同じものがわが家にも
梁信浩さん(民団大阪府本部副団長)は、展示物を見て「わが家にもこんなものがあったことを思い出した」と遠くを見やった。これは来場した同胞の多くが抱いた感慨だったようだ。
金剛学園の1期生の呉時宗さん(民団堺支部支団長)は自ら寄贈した1946年の集合写真を前に懐かしそうに当時を振り返った。呉さんを取り囲んで説明を聞いていた同胞からは「貴重な写真や。家で探せば出てくるかもしれない」といった声も聞かれた。
渡航証明に胸を痛める
金濱子さん(婦人会大阪府本部会長)は「渡航証明書を見たときは胸が痛くなりました」と語った。「先輩たちの苦労があるからこそ今の自分たちの暮らしがある。このことを語り伝えていかなければならない」と自らに言い聞かせていた。
豊中市からやってきた金鍾煥さん(民団豊能支部支団長)は「団員に見せたいが、ここまでくるのに交通が不便。バスツアーによる見学会を考えてみたい」と述べた。金哲弘さん(青年会大阪府本部会長)も「大阪に関する資料から見えてくるものもある。会員に観覧を呼びかけていきたい」と話していた。
オープニング式典に東京から駆けつけた映画監督の呉徳洙さんは、「大阪のほか名古屋、福岡でも展示したらどうか」と提案している。青年会兵庫県本部会長の趙勝済さんも「兵庫県でやったら資料収集にも役立つのでは」と語っていた。
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学校教育に反映を アンケートから
初めて知る朝鮮人虐殺
来場者が書き記したアンケートを見ると、関東大震災時の朝鮮人虐殺の事実に衝撃を受けたという人が、日本人のなかで世代を超えて目立った。
三重県から訪れたという30代の女性は「虐殺の写真を見ると心が痛みます」と書いていた。同じく60代の男性(大阪)は「二度とこのようなことがあってはならないし、許されることではない」と記した。
なかには「戦時中の侵略戦争、戦中の強制連行、慰安婦、軍人・軍属、戦後の差別など日本人に知らせて教えていかなければならないことばかり。日本にも韓国の独立記念館のようなものをつくり、近現代の歴史を教えることが差別解消の道であり、日本人のアジアでの立場をよくすることと思います」(40代、京都)という意見も。
自らのルーツを探し求めてやってきたという母が日本人の同胞女性(大阪、38)は、展示品のミシンに衝撃を受けたという。「両親はミシンの仕事をしていた。展示のミシンはまさに私の家にあったものと同じ。どきっとするぐらいでした」。韓国語の勉強を始めて今年で3年目。いずれ亡き父親のルーツをたどって韓国に行きたいという。
在日外国人教育にかかわっている日本の中学校の教師は、会場で「中学生に見せるにはレベルが高く、難しい。理解できるだろうか」と首をかしげていた。これを聞いたある民団関係者は、「たとえ難しくても、見て印象に残れば自ら勉強するようになりますよ」と勧めていた。
「楽しかったやばかった」
ある10代の来場者(女性)は、印象に残った展示として祭祀のお供物を並べたお膳を挙げた。感想を見ると、「家のやつとちょっと違うと思う」と漫画を入れて書いている。全体的には「昔のものがいっぱいですごかった。楽しかった、やばかった」と記していた。
(2008.10.1 民団新聞)