掲載日 : [2008-10-08] 照会数 : 7830
在日奏者育てた伽倻琴の池成子さん 来日公演
[ 3月にソウル国立国楽院ウミョンダンで行われた「ソリの道をさがして」の公演風景 ]
[ 池成子さん ]
教え子と奏でる民族の心音
韓国芸術の光伝えて…芸大や民団で40余年指導
成錦鳶カラク保存会主催の韓国古楽器‐伽倻琴公演「ソリの道をさがして」が11月、東京と名古屋で開かれる。今回、両公演を監修し、出演するのが伽?琴奏者の第一人者、池成子さんだ。東京公演は18年ぶり。池さんの1969年の来日から帰国するまでの30年以上の歳月は、後進育成に心血を注ぐ日々だった。そして、これまで多くの在日同胞の演奏家や、舞踊家を輩出してきた。この15年間、池さんの日本での演奏活動をサポートし、「通信 伽倻琴」を毎年発行している朴京美さんに聞いた。
功績語る支援者 朴京美さん
韓国出身の池成子さんは、伽倻琴散調の成錦鳶さんを母に、韓国伝統音楽家・研究者の池瑛煕さんを父に持つ。両者ともに人間文化財だ。幼少から韓国伝統音楽の研鑽を積み、8歳の初舞台以来、パリや米国などの国際舞台でも活躍してきた。
同胞の境遇胸を痛めて
「在日2、3世のほとんどは祖国の言葉も知らず、通名を使って自分が何者か分からなくて可哀想」。69年の来日当初、初めて知る同胞の境遇に胸を痛めた池さんが、朴京美さんに話した感想だ。
日本でのさまざまな人との出会いを通して、伽 琴の本質を自分自身に問いかけ続けた池さんの活動に、大きな影響を与えたのは、民族音楽研究者の小泉文夫さんとの出会いだった。小泉さんは伽倻琴をクローズアップさせ、さらには池さん自身に「民族の心の音楽とは何か」という永遠のテーマを与えた。
朴さんが池さんと初めて出会ったのは、84年国際交流基金主催「アジア伝統芸能の交流 旅芸人の世界」の事務局にいたときだ。「当時は伽 琴のことは知りませんでしたが、韓国の打楽器のリズムに圧倒され、舞踊にも惹かれました」。その後、「池成子伽倻琴研究所」(78年に設立)の門をたたいた。
池さんは帰国後も往来し、約40年にわたり韓国学校、民団、東京芸術大学、韓国YMCAを中心に指導してきた。東京芸大で池さんが伽倻琴を教えたことは、アジアの民族音楽を日本社会に認知させることになった。研究生は100人以上。70年代の愛弟子の代表は、92年に急逝した作家の李良枝さんだ。現在、プロとして活躍する同胞には、韓国伝統舞踊家の金利恵さん、趙寿玉さん、姜芳江さん、張智恵さん、伽?琴奏者の張理香さんらがいる。そして会の若手現役では韓国で活躍し、日本公演も多い金貴子さん、中堅の金美仙さんもいる。
2、3世ら集う研究所
「80年代までの日本で、韓国の民族文化や芸術を着目させるのは容易なことではなかったと思います。池先生の研究所には同胞の2世、3世が集まってきましたが、ここでは政治信条を持ち込まないようにさせ、南も北もなく、韓日の溝も超えて、伽倻琴の音楽を愛する人たちの場にすることを心がけたそうです」と話す。
当時、研究所にはさまざまな背景を抱えた同胞たちがいた。「亡くなった李良枝さんは、池先生から伽倻琴を習うことによって、在日像を見つめ直し、その固定的なイメージから超えるものをつかまえて文学的昇華を目指した作家と言えるでしょう。池先生の弾く演奏に涙が抑えられなかった先輩もいます。父母の祖国にこのような素晴らしい芸術があること自体に感激して。私もその経験から出発した。民族文化とは民族の誇りだと思います」と朴さんは回想する。
保存会から17人が参加
今公演には韓日の弟子17人が参加する。ともに90年に池さん帰国後に「成錦鳶流伽倻琴散調」と「15絃伽倻琴創作曲」を継承、発展させるため「成錦鳶カラク保存会」と名称を変え、活動している弟子たちだ。池さんから得た貴重な体験は、あまりにも多いと話す朴さん。
なかでも「表現者として決してあきらめない、踏ん張る力」を学んだことが大きい。
今夏、池さんは2度来日し、集中練習を行った。池さんが韓国に戻ってから15年以上。「司会は1期生の李銀子さん。先輩たちの協力も得て、この公演の実現に感慨を深めています」
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来月・東京と名古屋で
〈東京公演〉11月8日=大井町きゅりあん小ホール。昼の部開演14時、夜の部開演18時半。チケット4500円。問い合わせは結プランニング(℡03・5313・5514)。
〈名古屋公演〉11月10日=今池ガスホール。開演19時。問い合わせはTOKUZO(℡052・733・3709)。チケット4500円。
(2008.10.8 民団新聞)