掲載日 : [2008-10-22] 照会数 : 5412
韓国食育の歴史<8> コチュ
貯蔵食品の生みの親
唐辛子(コチュ)は、中南米が原産地とされ、文献によれば16世紀中葉にポルトガル商人により日本に入ったのが、東洋では最初と考証されている。韓国には、文献上によれば壬辰倭乱の際、日本から伝来したとされ、当初は倭藩椒、あるいは倭芥子と呼ばれていた。
コチュが初めて文献に登場するのは、名臣、李 光の著「芝峰類説」(1613年)で、「南藩椒は毒をもっている。倭国から入ってきたので世俗ではこれは倭芥子という。今は種を植えているところもある。酒家では猛烈な辛さを利用する。あるいは焼酎と一緒に売ることもある。これを食して多く死んだ」と記されている。
その後、中国からも品種の異なるコチュが入ってくる。唐椒がそれである。このように伝来したコチュはすぐに広く使われたのではなく、かなり後、徐々に韓国の食生活に欠かせないものとして浸透していく。
韓国のは他国のコチュよりまろやかな辛味で、甘味成分やうまみ成分の含有量が多い。おそらく韓国固有の風土的な土壌のせいではないだろうか。コチュが香辛料として特にキムチに利用されたという記述は、1766年の「増補山林経済」で紹介されている。この時期、積極的にコチュを使用した理由として、不足していた塩を節約する目的があったという記録がある。
今日ではコチュのカプサイシンが減塩作用に効果があるということが、科学で立証されている。ほかにも胃の粘膜を刺激し、消化液の分泌を促すなど、すでに韓国の食文化のなかで、コチュが健康的な食べ物として着目していたことになる。
コチュは肉薄の太陽熱で乾かした太陽椒(テヤンチョ)が上質とされている。ひと昔前までは藁葺きの屋根や庭に干された赤いコチュは、農村の風物詩であったが、近年は火力乾燥のコチュが市場を占めている。主婦は8、9月ころにはこの太陽椒を求めて奔走する。キムジャンや翌年の春先に仕込むコチュヂャン用を確保するためである。
コチュヂャンの歴史はキムチにコチュを加えた時期とほぼ同じ17世紀後半とされている。コチェの登場はコチュヂャンという貯蔵食品を生み、野菜につけたり、チゲやヤンニョンに加えたりと幅広く使われている。
以前、韓国のスポーツ科学研究所のデータによると、選手の外国遠征の際、コチュヂャンがなくて食欲が低下し、記録も落ちたという発表があった。コチュヂャンは韓国の人々の心のよりどころなのである。
料理研究家 姜連淑
(2008.10.22 民団新聞)