掲載日 : [2008-11-06] 照会数 : 7383
日本伝統芸能の担い手に 4世の梁川浩さん
[ 力強い津軽三味線の演奏を披露した(10月24日、新宿文化センター) ]
民謡・津軽三味線で頂点目指す
日本民謡界で注目を集めてきた在日韓国人4世の梁川浩さん(18、東京・世田谷区、本名金浩)。小学校4年で工藤流津軽三味線「青城会」に入門し、2002年の民謡大会、04年の三味線大会出場を皮切りに、これまで多くの大会、コンクールで優勝、入賞を果たしてきた。民謡界の若き担い手として、今後の活動が期待されている。
「コリアン魂がある」
祖母のパンソリ聞き育つ
先月24日、東京の新宿文化センターで開催された「2008韓日親善文化祭典」で披露した民謡「津軽よされ節」は、04年に開かれた「第19回青森県民謡民舞全国大会」青少年の部で、初めて優勝を手にした思い入れの強い曲だ。これまで一番長く歌ってきたという。澄んだ美声に巧みな節回し。声変わりしたとはにわかに信じがたい、のびやかな歌声。津軽三味線では、皮をバチで叩くように弦を弾く力強い奏法と、デリケートな音色の組み合わせに多様な表情を見せた。
「バチを持つ右手の指はマメができます。痛いんですよ、慣れるまでは根性です」とすでにマメも固くなった指先を目の前に差し出した。「叩き」と呼ばれる弾き方は、津軽三味線の特徴的な奏法だ。「この奏法には相当、力が入ります。最近、叩くのもやっと大きくできるようになりましたが、いい音を鳴らすのは難しい」と、妥協を許さない音楽家の顔をのぞかせた。
同居する祖母の鼻歌交じりのパンソリを聞いて育った。伝統音楽に対する親近感、愛着は深い。興味はいつしか自分でやりたいと思うように。だがパンソリを本格的に習う場所はなかった。「ならば日本の伝統芸能をやろうと思いました」
転機を迎えたのは小学校4年生のとき。野球部のコーチが工藤流津軽三味線「青城会」で指導していることを知り、見に行ったライブで感動し、弟子入りを申し出た。最初は遊び感覚だった。6年生のとき、「青城会」の師匠から大会に出ることを勧められたのをきっかけに、本気で取り組むようになった。民謡は6年生から始めた。
高い声域に絶対音感も
パンソリと民謡はともに庶民の生活のなかから生まれた芸能だ。またその日の糧を得るために、家々を門付けする男性視覚障害者の芸人たちは、「ボサマ」と蔑まされてきた厳しい歴史が津軽三味線にはある。韓国でも村々を移動しながら農学や人形劇などを披露した旅芸人の男寺党もまた、賤民階級とされたなかでも下位に属する身分だった。
過酷な環境にあっても絶えることなく、連綿と引き継がれてきた両国の伝統芸能。その背景に思いを馳せながら、「青城会」が代々、継承してきた伝統の技や心を自身も引き継いでいるという、責任と重みを受け止める。
民謡界では現在、若い男性の担い手が不足しているという。民謡大会などでは高い声が評価される。男性の場合、声変わりが峠になる。「声変わり前は歌う方は沢山いますが、声変わりがあると大会にも一切、出てきません」
梁川さんは変声後も4オクターブは出せるという高い声域を維持。さらに絶対音感を持つ。天性の声を持つ梁川さんに対する民謡界の期待は大きい。もちろんプレッシャーはある。でもそれをはねのけるのは、「日ごろの努力と、一番大事なのは思う気持ち」だと明確に答えた。声量を増すための独自のトレーニング、毎日行う津軽三味線の稽古は欠かさない。
現在高校3年生。大手芸能事務所の「ホリプロ」にも所属し、来年は大学受験も控えている。「学業と芸は両立できています。苦労と感じたことはないですね」
保存活動の継承視野に
梁川さんにとっての民謡、津軽三味線は「体の一部。なくてはならない存在」だ。現在、「青城会」の2歳下のライバルでもある友人と一緒に、曲作りも手がける。三味線大会での曲は全てオリジナルになるからだ。最近、「青城会」の師匠から、教えることはもうないと告げられ、現在歌専門の先生のもとに通う。
目指すは頂点。「大人の部で全国大会1位になって、皆の憧れる存在になりたい。負けてたまるかというコリアン魂はあります」。「民謡、津軽三味線の良さを多くの方たちに知ってもらい、伝統芸能の保存活動に貢献していきたい。こういう伝統芸能はなくしてはいけないから」。視野の広さもある。
(2008.11.5 民団新聞)