掲載日 : [2009-01-01] 照会数 : 6852
2009己丑 韓牛
[ 葛牛、虎斑牛とも称される韓牛の象徴 ]
協調 底力 繁栄 慈愛
今年の干支は牛。神話にも登場する牛は、後の韓国農耕を支える貴重な動物として、民衆とともに長い歴史を歩んできた。韓国人にとって切っても切れない関係にある牛は家族の協調、富と繁栄、勤勉や慈愛などを象徴するといわれている。韓国ではことわざや昔話、絵本などにも多く登場するほど、身近な存在だ。また日本の植民地時代には150万頭ともいわれる「韓牛」が韓国から日本に輸出され、日本の農業を推し進めるうえで、重要な力となった。
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農耕支えた家族
西暦502年 韓国初の牛耕
韓国で初めて牛耕が行われたのは、西暦502年といわれている。鋤(すき)や、鍬(くわ)などの鉄製農具だけを用いた農業期間はそう長くはなく、牛耕は農業の主流として普及していく。
朝鮮牛(韓牛)に対する正しい知識を養ってもらう手段の一つとして、また日本の植民地政策によって、日本で暮らすことを余儀なくされた在日青少年のために、故郷の事情を知ってほしいと1949年2月、岩永書店から発行された松丸志摩三著の「朝鮮牛の話」には、当時の日本人たちの韓牛に対する関心の高さや、朝鮮人と牛との密接な関係などの興味深い話が収録されている。
農業を営む人たちにとっての牛の第一の役割は、食糧になる家畜ということだった。だがその牛が荷物を背につけて運ぶことがわかると駄載用の家畜として重宝された。
さらに車をひき、犂(すき)をひき田畑を耕すようになると、人々との関係をさらに密接にしていったと指摘する。
それではなぜ韓牛は大衆の友として、人々の生活に役立つことができたのかについて松丸志摩三さんは、「人が農業をおぼえ、一定の場所に落ちついて暮らすようになってから、大変、便利がられる」ようになったからだと説明する。それは俊敏で移動性に富むが、戦闘的な馬に対し牛は、家畜として農業に適していたと分析する。
韓牛は植民地下の1900年から43年間で、朝鮮から日本に150万頭輸出された。「日本では朝鮮牛がなくては農業は営めないといっていい程、日本の農業をおしすすめていくうえで、重要な力になった」
日本農業にも欠かせぬ存在
その大きな理由は、韓牛は世界中でもくらべようのない程、すぐれた素質をそなえている点にあった。一つはあらゆる牛の中でも、人間に従順で、賢くおとなしくて仕事熱心、粗食に耐える、いわゆる環境に対する抜群の適応能力をそなえていた点にある。
日本の褐色和種といわれる牛は、熊本県、高知県で飼われていた韓牛をもとにした赤牛に、明治以降にシンメンタール種や韓牛を交配し、改良した品種。
韓牛は黄牛、褐牛、黒牛と3種の色によって分けられる。褐牛は褐色地色に黒い縞模様があり、韓国童謡「染み子牛」の題材になった。韓国人にとっての牛は、常にかたわらにいる家族同然の存在だった。
牛にちなんだ韓国のことわざ
◆牛と鶏が眺め合っているよう
お互いに無関心を装っているようすをいう。
◆牛に言った話は漏れず女房に言った話は漏れる
①一度人に言ったことはいかに親しい間でも、いずれ他人に知れ渡るようになること。
②女性の口は軽いもので、十分に気をつけなければならない。
◆牛に逃げられて厩を直す
処置が遅れて間に合わないこと。
◆できそこないの仔牛尻にツノ生える
身のほどを知らない。
◆牛のごとく稼いで鼠のごとく食う
大いに稼いで、節約して使えということば。
◆牛の小便、馬の糞
無用の長物という意。
◆牛の角も一気に抜け
どんな仕事でも始めたからには、その場ですませろという意。
◆牛の角もいろいろ、念珠もおのおの
外観は同じに見えても、その内容は種々さまざまである。
◆牛の臂に馬草を投げる
することなすことが逆である。物事のあべこべなこと。
◆牛の耳にお経読み
ものわかりの鈍い者には、どんなに言い聞かせてもわからない。
◆牛のわが子を舐めてあげるよう
目に入れても痛くないと思うほどかわいがること。
◆牛屠った跡は残らず栗剥いだ跡は残る
概して世間では、大きな事件は目立たないけれども、小さなことが人目についたり噂にされやすいものだというたとえ。
◆牛も丘があればこそこする
具体的な頼むところがあってこそ何事もできる。
◆針泥棒が牛泥棒になる
ごく小さな針を盗む者は、将来牛のような大きなものを盗む者になると言う意味。
◆針先ほどのことを牛の尾ほどに言う
小さなことを種にして、大げさに吹聴すること。
◆馬の往くところ牛も往く
行き着くところは同じである。
◆小川に入った牛
小川に入った牛は水を好き放題に飲める。運のいい立場に置かれているという意。
◆牛首を懸けて馬肉を売る
言っていることと、行っていることがまったく違う。
◆牛の皮を引っかぶる
恥も知らず、図々しい者を指していう。
◆のろい牛も怒るときがある
いくらおとなしい人でも、邪険なことをたびたびされるとしまいには怒り出す。
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絵本・昔話でも人気
温厚な性格と勇姿に親しみ
『うしとトッケビ』
まきうりのトルセはある雪の日、牛をつれて帰り道を急いでいた。そこに突然現れたのはトッケビ(おばけ)の子。仲間たちと村にやってきて楽しく遊び、家に帰ろうとしたのだが、村の犬につかまってしっぽをかまれてしまった。トッケビにとってしっぽは、術を使うのに必要なものだった。
かわいそうに思ったトルセはトッケビの子の体が回復するまで牛のお腹のなかで休ませてあげることにした。ところが、約束の日になってもトッケビの子は出てこない。
文=イ・サン
絵=ハン・ビョンホ
訳=おおたけ きよみ
出版社=アートン
『蚊とうし』
いつも他人の血を吸って遊んでばかりいる蚊は、まじめに生きている純粋な牛をいつもバカにしている。牛を恐れているハエに向かって見栄を張る蚊は、牛小屋にいる牛にいろいろな手をつくして嫌がらせをする。
蚊はさんざん牛の血を吸うが、最後に牛の尻尾で叩かれてしまう。
文=ヒョン・ドンヨム
絵=イ・オクべ
訳=おおたけ きよみ
出版=アートン
『牛になった寝太郎』
いつも眠っているばかりいる寝太郎は、お父さん、お母さんが畑仕事にでかけるときも、縁側でいびきをかいて眠っていた。
のどが乾いた寝太郎が、裏庭の水を飲んでいると、木につながれた家の牛が草を食べながら、自分をみていた。いつでもすきなように眠れる牛が羨ましい寝太郎。牛と寝太郎は姿をそのまま入れ替わってしまう。
作・画=ホン・ソンチャン
文・監修=田島伸二
出版=汐文社
『黄牛のおくりもの』
母親を亡くした5匹兄弟のハツカネズミと、黄牛との心温まる交流物語。
ある晩、寒い牛小屋に住む黄牛を訪ねて1匹の小さなハツカネズミがやってきた。ハツカネズミは母親をなくした幼い弟たちのために、黄牛のエサ場の中の残り物をもとめてやってきた。黄牛は早くエサ場の残り物を持っていかせるために、自分の背中をハツカネズミに通らせる。
文=クォン・ジョンセン
絵=チョン・スンガク
訳=仲村修
出版=フォレスト・ブックス
親子の絆も表現 愛情深い一面も
『世界昔話(2)』(ほるぷ出版)の「牛になったなまけ者」、『朝鮮昔話百選』(日本放送出版協会)の「牛に化けたなまけ者」、『韓国昔ばなし(下)』(白水社)の「牛になった人」はいずれも、働くことがとにかく大嫌いな、なまけ者の男を取り上げた物語。
ある日、老人の作った牛の仮面をかぶったなまけ者は、本物の牛になってしまう。あわてて脱ごうとしたときはもう遅い。老人は綱を持ってきてなまけ者の首に結び、市場に向かって歩き出した。
ある農夫がこの牛を買おうとすると、老人は「大根を絶対にたべさせないように」と言った。その日からなまけ者は1日中、働かせられた。「私は人間ですよ。牛ではなく人間ですよ」と声をかけてみても、農夫の耳には牛のモオ、メエ、という鳴き声にしか聞こえない。
つらい日が何日か過ぎると、なまけ者は生きているのが嫌になった。このとき、なまけ者は老人がいった「大根をたべさせないように」という言葉を思い出した。
あくる日、農夫の目を盗んで大根畑に入り込み、大根を取って食べると、なんとなまけ者は人間に戻った。
それからなまけ者はまじめに働き、幸せに暮らした。
『仔牛ととりかえた大根』は、自分の畑で作った立派な大根を郡守のとこへ納めた善良な百姓が、郡守から小牛1頭を受け取った。同じ村の欲張りの百姓はこの噂を聞きつけ、肥えた小牛を郡守に届ける。金塊を期待して首を長くして待ったあげく、もらったものは大根1本だった。
『小牛とオッパイ』は、乳飲み小牛を残したまま出かけなければならない母さん牛の、小牛を思う強い気持ちが描かれている。
『小牛があけた垣根の穴』も、小牛が母親を思う素直な気持ちが表現されている心温まる物語だ。
(2009.1.1 民団新聞)