掲載日 : [2009-08-15] 照会数 : 7417
四万十川津賀ダム「平和祈念碑」除幕
[ 津賀ダム工事でむごい労働を強いられた父親をしのぶ民団高知本部の李洋一団長 ]
被強制労働の朝鮮人を供養
高校生中心に実行委
【高知】第2次大戦中、高岡郡四万十町下道の津賀ダム建設に動員され、犠牲となった朝鮮人労働者たちのものと思われる無名墓を供養する石塔モニュメント「津賀ダム平和祈念碑」が9日、建設現場左岸で除幕した。90年から地域の人権問題と現代史を結びつけた調査を進めている自主的な高校生サークル「幡多ゼミナール」(宿毛市山奈町)が企画、1年前から地元住民と建設委員会を組織していた。
除幕式には地元住民ら160人が出席。韓国から幡多ゼミナールと03年から交流を続けている釜山の高校生グループ「共生の旅」、民団中央本部から朴相泓生活局長が駆けつけた。
石塔はダムの隧道工事中に出たと思われるラグビーボール大の石を約300個拾い集めて、高さ2・3㍍の円柱形に積み上げたもの。パンサダと呼ばれる防邪塔の先端の石は、邪気を食べて取り除いてくれる韓国の国鳥であるカササギを表す。 表面には韓国と日本の高校生が協力してつくった済州島のトルハルバンと日本の地蔵を並べた。モニュメント内には無名墓8カ所から採取した土を壺に入れて納めた。
正面の石碑文には「ふるさと朝鮮に帰れなかった犠牲者のことを伝え続け、この地が国境を超えた友情が広がる場所となりますよう」との願いが刻まれている。
経過報告に立った幡多ゼミナールの上岡橋平顧問によれば、韓半島から約200人が昼夜を問わない難工事に駆り出された。隧道での事故死や川での水死などで多数の犠牲者を出した。遺体は地域の共同墓地や山中に無縁仏として埋葬されている。
民団高知本部の李洋一団長(72)は韓国で生まれて間もなく、父親を津賀ダムに強制徴用された一人。母親に連れられて四万十町にやってきたのは4、5歳の時。「小さいころでよく覚えていないが、朝鮮人と差別され、石を投げられたりした」と述べた。
前田哲生四万十町長は「たくさんの犠牲者の上に70年を経た今が成り立っていることに、心の痛みを禁じ得ない」と追悼の言葉を述べた。犠牲者の魂が無事、故郷に帰れるようにと、韓国からやってきた演技団はクッを献舞した。
津賀ダムは国策会社の日本発送電株式会社が軍事目的のため、1941年に工事を開始した。敗戦で一時中断したものの1951年に完成した。
(2009.8.15 民団新聞)