掲載日 : [2010-02-10] 照会数 : 8203
<文化>新たな未来へ 日韓文化交流基金
[ 内田富夫理事長 ]
歩み27年 内田富夫理事長に聞く
「先進国同士の付き合いで」
「日韓文化交流基金は、日本と韓国をつなぐ接点のようなつもりで取り組んでいる」と話す内田富夫同基金理事長。1983年、日韓議員連盟、経済団体連合会の主導により設立されて以来、両国民の相互理解と信頼を深めるために、さまざまな人的・文化的交流事業を行ってきた。この間の韓日交流について聞いた。
知的な刺激 大切に
訪問しあい育む相互理解
「お互いのあら探しみたいなことを意識的にすれば、いろいろな問題はある。でも、そういう問題は解決していく努力をし、今、相手を見る温かい気持ちを大切にしていくことが、日韓双方の指導層の義務であり仕事」 83年の設立当時、同基金では民間レベルの日韓交流事業を支援するため、「青少年・草の根交流」「シンポジウム・国際会議」「芸術交流」の3分野の人物交流と、学術定期刊行物出版への助成事業を始め、日韓合同学術会議などの事業にも着手した。その後、青少年交流、フェローシップなどの事業を拡大、図書センターも開設した。
同基金が事業として軌道に乗り始めたのは、88年のソウル五輪以降からだという。日本人の韓国に対する関心が高まった時期を山に例えるなら、第1の山はソウル五輪。第2の山は98年、当時の金大中大統領、小渕恵三総理大臣の両首脳による、21世紀に向けた新たな韓日パートナーシップを構築すると宣言したことだろう。
さらに韓国では98年から日本の大衆文化が段階的に開放され、02年の韓日共催ワールドカップサッカー開催、そして日本政府が05年、訪日する韓国人観光客に対するビザを恒久免除したことも、交流に拍車を掛けた。
人的交流は着実に進歩
「人的交流というのは、お互いの信頼関係の浮き沈みはあっても進歩してきた。量的な交流というものが、質的な交流と一緒に相乗作用を起こし、うねりを伴いながらのびてきた」。だが、日本人は戦後の長い間、過去の問題も含めて韓国に対して、あまり関心を示してこなかったのも事実。「この15年間くらいでお互いに向き合う関係になった。それはいろいろな人が、いろいろな努力をしてきた結果」
同基金の事業で、主流となるのは交流だ。次世代を担う両国の青少年を対象に、相手国を訪れて相互理解を深めていくための、派遣・招聘プログラムが89年から実施されている。
89年から08年までの累計によると、訪日研修で招聘した大学生と教員は52団体(6376人)、訪韓研修では180団体(3801人)。99年から08年までに招聘した高校生と中学生は、52団体(4267人)、派遣は28団体(2339人)にのぼった。
また、同基金が事務局を務めて行ったのが、日韓歴史共同研究委員会だ。09年までに第2期を終えた。両国の50人以上の学者や専門家が集まり、学術的な意見交換を行った。
歴史認識も向きあって
「歴史認識問題は正面から取り上げるべき。歴史問題について見方の相違はある。お互いの偏見や独断に基づく態度ではなく、過去の問題をさかのぼって考えるということが大事。それを一緒の席で研究するという態度は確保されている」。今春、第2期の報告書が出されるという。
内田理事長は大学卒業後、外務省に入省。アジア、欧州、アフリカなどの大使館勤務、大使などを歴任した。多くの国を見てきた経験を踏まえ、アジアのなかで日本と韓国は、先進国同士の知的水準の高い関係だと指摘する。特に韓国は今年、主要20カ国(G20)首脳会議の主催国になった。また昨年は、アラブ首長国連邦(UAE)の原子力発電所の建設事業を受注しており、国際社会から評価を得たと指摘する。
「韓国は一流の国。韓国の人も、それをどんどん意識すべきだし、日本人にとっても、そういう国が隣にあるということはいいこと。これからは先進国同士の付き合いに、だんだん入っていく」。だからこそ、指導層の役割に加え、国民全体が今の関係を大事にするか、しないかにかかってくると強調する。
今年は韓日併合から100年を迎える。新たな未来へ向け、「われわれは一緒に仕事をしていく運命にある。だから基金の仕事が、さらに向上されることを望む」。
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図書センター
日韓関係や韓国関連図書約2万5000冊を所蔵。定期刊行物、マイクロフィルム、視聴覚資料なども揃えている。
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(2010.2.10 民団新聞)