掲載日 : [2003-04-30] 照会数 : 5895
心に響いた同胞の温かさ 韓国修学旅行感想文大会(03.4.30)
[ 趙佑佳さん ]
特賞の同胞3世趙佑佳さん
「嫌悪」から「誇り」へ
娘の思いに家族は帰化放棄
韓国観光公社主催の韓国修学旅行感想文大会で、東大阪市在住の趙佑佳さん(大阪府立夕陽丘高校3年)が「ふるさとへの旅」で特賞を受賞した。訪韓を契機に在日韓国人であることを認識した佑佳さんを見て、一時は帰化を考えていた家族もその思いを捨てるなど、一家の岐路を選択させた受賞となった。
同大会は「みる、まなぶ、ふれあう・たび」をテーマに、青少年の交流を通して韓日の明るい未来を築くことを目的にスタート、今回で20回目を迎えた。2002年の応募は全国41校から719作が寄せられた。佑佳さんは最終審査に残った52作の中から選考された。
佑佳さんは、昨年11月に修学旅行で訪韓、その時の感想を学校のアンケートに綴った。
初めて韓国の地を踏み、見て感じたことをストレートに書いた内容に、先生から原稿化して感想文大会への参加を勧められた。今年1月に特賞を受賞の報告を受け、3月27日には2度目の訪韓となった韓国での授賞式に臨んだ。
小学2年の時に先生から在日の子どもたちの集いに参加したら、と言われて初めて、自分の中で「私は韓国人なの」という疑問にぶつかった。
その頃はまだ幼く、家庭内でも韓国人であることを告げられることもなかったので、なにかひっかかりを感じながらも日本人として過ごしてきた。ところが、修学旅行が韓国に決まり、パスポートの色が友人と違うことで韓国人であることを認識し、その事実を隠している矛盾に葛藤した。
勇気をもって友人に告白したところ、気持ちよく理解してくれた。
修学旅行は、初めての祖国訪問だった。見るものすべてに感動し、また韓国の人とのふれあいや交流を通じて、「同じ民族、人間としての温か味を心から感じた」と目を潤ませたという。
父親の趙安秀さん(47)は、いまだ韓国人への差別が残る事実から、帰化を考えていたが、佑佳さんの生まれ変わった姿を目の当たりにして、その気持ちを尊重して帰化の思いを放棄したという。佑佳さんは「大学へ行って韓国語を習い、話したい。韓国人として生まれたことを心から誇りに思う」と、目を輝かせた。
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「ふるさとへの旅」
私にとっての韓国への修学旅行は、初めての海外旅行であり、そしてなのより初めての里帰りでした。
私の〞ふるさと〟である韓国。小学生の頃は、正直に言うと自分が韓国人であることが何よりも嫌でした。成長し、自分が韓国人であるということも理解できてきた頃、夕陽丘高校に入学しました。
修学旅行先が韓国に決定し、本当に複雑な気持ちでした。韓国人であることを周囲に言わずに生きてきた、そういう自分が韓国という自分のふるさとである国にふれるのが怖かったのです。
韓国に着いたとき、自然に「ただいま」という言葉が心の中に出ました。ここが私のふるさとなんだ…と涙が出そうでした。
初日に訪れた西大門刑務所跡では、進んでいくごとに涙がボロボロ出てきました。でも私は、絶対に目をそむけてはいけない、見るのがつらくても過去を知らなければこれから先一歩も前に進めないんだと自分にいいきかせ、ひとつひとつじっくり見ました。2日目。仁川女子高校との交流で渡す自己紹介カードに、自分が〞在日〟であること、韓国人であることを書きました。それを読んだイ・イスルという女の子は、驚きながら私に抱きついて喜んでくれました。
私は、韓国人としての自分の存在を初めて他の誰かに認めてもらえたような気がして、幸せでした。またこの旅行中、バスガイドの車さんと仲良くなりました。帰りの飛行機に乗る前、私は車さんに自分が韓国人であることを告げました。すると車さんは私を抱きしめてすごく喜んでくれました。
そして今、実際に韓国の人たちと触れあい、あたたかさを知り、この国の素晴らしさを実感できたことで、韓国が母国であることを心からうれしく思っています。韓国への修学旅行は、大げさかもしれませんが、私の人生を大きく変えてくれたものとなりました。
16歳の今、自分の本当のふるさとである韓国に行き、ふるさとを大好きになれました。そうなる機会を与えてもらい、本当に感謝しています。韓国と日本という2つのふるさとをもつ自分自身に誇りを持って、これからも強く生きていこうと思っています。
(感想文一部紹介)
(2003.4.30 民団新聞)