「氷上の歴史」変えたメダル数 過去最多も バンクーバー冬季五輪で韓国が世界を驚かせている。これまで、お家芸といわれたショートトラックだけでなく、スピードスケートでメダルを量産しているからだ。それも「小柄なアジア人は通用しない」と言われてきた長距離で堂々のメダルを獲得した。目標としていた金6個クリアは時間の問題だ。金5個を含む10個のメダル(24日現在)はすべてスケートだが、スピードスケートで5個という大躍進を見せ、今や「スケート王国」に浮上した。バンクーバー五輪での韓国旋風はもう止まらない。
〞アジア勢初〟を連発…平昌招致に弾み 1988年の「ソウル五輪ベビー」たちが、韓国スポーツの枠を根本から作り直している。
経済力向上ですそ野広がる |
韓国初の女子スピードスケートのメダルは何と金色だった。女子500mで金メダルを獲得した李相花の快挙はアジアの女子としても初めてだ |
韓国スピードスケート史上初めて五輪金メダルをもたらした牟太釩と、17日にアジアの女子選手として初めて、スピードスケート五輪金メダルを獲得した李相花は、ともに1989年生まれで、ソウル五輪以後に生まれた世代だ。冬季五輪史上初の500メートル男女制覇という偉業を成し遂げた二人は、韓国の経済発展が勢いづいた時期に生まれ、それ以前の世代とは異なる自信と大胆さで、新たな歴史を書き綴っている。
これまでも韓国はスポーツ大国と呼ばれ、冬季・夏季五輪で常に世界トップ10の成績を維持してきた。これは主に、伝統的な得意種目によるものだった。夏季五輪ではアーチェリー(16個)、柔道(9個)、レスリング(10個)、テコンドー(9個)などがメダル獲得の中心だった。また冬季五輪では、2006年のトリノ大会まで、ショートトラック(17個)以外では金メダルを一つも獲得できなかった。
しかし五輪ベビーたちが成長するにつれ、このような種目の偏りが少しずつ変わってきた。08年の北京大会では、89年生まれの朴泰桓が水泳で金メダルを獲得し、世界のフィギュア女王、キム・ヨナも90年生まれ。かつては韓国選手の名前を聞くことさえ珍しかった先進国型種目で次々に名を連ねてきた。
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韓国男子スピードスケート初の金メダリストとなった牟太釩。男子500mでは「予想外の男」といわれながらも、1000mでも実力を誇示し銀メダルを獲得した |
牟太ボン(金+凡)、李相花、朴泰桓以外にも、世界のスポーツ界で頭角を現している89年生まれは多い。
ショートトラックで金メダル2個を獲得した李政洙も五輪ベビーで、「天才ゴルフスター」ミシェル・ウィーも89年生まれだ。サッカー英プレミアリーグに進出している奇誠庸をはじめ、14日のサッカー東アジア選手権大会の韓日戦でゴールを決めた李昇烈、キム・ボギョンも89年生まれだ。
また、申智愛をはじめとする女子ゴルファーや、サッカー韓国代表の李青竜、北京五輪バドミントン金メダリストの李竜大は88年生まれだ。
スポーツ関係者らは、韓国スポーツの躍進は経済成長とつながっていると口をそろえる。
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今大会韓国選手団第1号メダリストとなった李承勲。男子5000mの銀に続き、1万mでは驚きの金メダルを獲得。アジア勢初となる長距離でのメダルだった |
経済成長に伴い選手たちの体力が向上し、海外選手との格差が一気に縮まっている。子どもに対する親の投資が増えているのも、新世代スターが続々と誕生する背景にある。また、韓国は伝統的に国を挙げて選手の強化に努めていることも大きな要素だろう。
韓国の活躍に驚き示す世界 韓国がスピードスケートで金メダル獲得というニュースに、外信は「サプライズ」を連発した。AP通信は、「李相花は中国とドイツの圧倒的な優勝候補二人をこれ見よがしに追い越し、韓国にもう一つのサプライズ金メダルをもたらした」と報じた。ロイター通信は、「世界ランク3位の李相花が〞ドイツの女帝〟ウォルフを破った。韓国の選手がオリンピックで輝いている」と伝えた。
特に、外信はスピードスケート男子5000メートルでの銀メダルに続き、500メートルで男女そろって韓国が金メダルを獲得したことについて、驚きを示した。
APは「競技場であるオリンピックオーバルを支配している」と報じた。BBCも「韓国はスピードスケートを支配」と報じた。
海外メディアはまた、韓国の勝利の秘訣である勤勉性にも注目している。ロイター通信は、「勤勉な韓国人が金メダルで成果を得た」と掲載した。
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世界中を魅了するキム・ヨナ。金メダルなるか |
中国メディアは「冬季五輪の韓流」として驚きを示した。国営・新華社通信は、「韓国が世界を驚かせている。スピードスケートの選手もショートトラックの技術でコーナーワークの速度を向上させているのが好成績の理由だ」と報じた。
日本ではどうか?
やはり、各紙で韓国のスピードスケート躍進を取り上げ続けている。
朝日新聞は、夕刊1面で「スピードスケートに韓国旋風」との見出しで、「ショートトラック王国でコーナーワークにたけており、ナショナルチームで少数精鋭で強化。さらに気迫も充実している。勢いは止まりそうにない」と報じた。毎日新聞は社説で、「冬季競技に限らず身近なアジアのライバルと競い合う中で、アジア全体のレベルを上げていくことが日本スポーツ界に求められている」と論じた。
冬季五輪史上初のスピードスケート500メートル男女制覇という偉業を成し遂げた、牟太釩と李相花。もし、バンクーバーではなく、韓国の平昌で金メダルを獲得していたならば、喜びも倍以上だったろう。
03年7月、チェコの首都プラハで行われた国際五輪委員会(IOC)総会。平昌は決選投票の末バンクーバー(56票)に3票差で敗れた。
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お家芸のショートトラックでは李政洙が1500と1000の2冠を獲得。宿敵のオーノ(米国)に競り勝ち、雄叫びの李政洙(手前) |
当時、招致委員会の事務次長を務めた、江原道の方在興・国際スポーツ委員会顧問は、スピードスケートで韓国勢の活躍には上機嫌。韓国が、これまで「お家芸」とされてきたショートトラック以外でもメダルを獲得し、並みいる強国と競争する姿は、冬季五輪の招致に明らかなプラスになるからだ。
韓国の冬は厳しく、もともとスケートは盛んだった。凍った漢江で滑るのは子どもたちにとってもっともポピュラーな遊びでもあった。
日帝時代でも、韓半島出身選手が日本代表として五輪に出場するといった例が少なくなかった。
最も有名なのがベルリン五輪のマラソンで金メダルを獲得した孫基禎氏。このとき3位にはやはり同胞の南昇竜氏が入った。また、ベスト8に入ったサッカーには金容植氏が、ボクシング、バスケットボールにも同胞選手が連ねた。
36年のガルミッシュパルテンキルヘン冬季五輪・スピードスケートでは金正淵、李聖徳、張祐植らが日本代表として出場した。
そして、64年インスブルック大会では女子3000メートルで韓弼花(北韓)が銀メダルを獲得、冬季五輪女子スピードスケートでアジア人初のメダルだった。
韓国はスケート強国の素質を備えていた。88ソウル五輪以後、経済成長によって、国を挙げての体系的な選手強化が進んだ。その時代に生まれた「88世代」たちが今、開花したのだ。
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ニューヨークタイムズは1面トップでキム・ヨナを報道 |
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韓国のメダル(24日現在)◆金メダル
▽李政洙(ショートトラック男子1500m)
▽李政洙(ショートトラック男子1000m)
▽牟太ボン(金+凡)(スピードスケート男子500m)
▽李相花(スピードスケート女子500m)
▽李承勲(スピードスケート男子1万m)
◆銀メダル
▽李承勲(スピードスケート男子5000m)
▽牟太ボン(金+凡)(スピードスケート男子1000m)
▽李昊錫(ショートトラック男子1000m)
▽李ウンビョル(ショートトラック女子1500m)
◆銅メダル
▽朴勝羲(ショートトラック女子1500m)
(2010.2.24 民団新聞)