掲載日 : [2010-03-10] 照会数 : 6154
サラムサラン<18> 「お疲れ様」文化
韓国では「スゴハショッスムニダ」という挨拶をよく耳にする。「スゴ」は漢字で表せば「手苦」で、文全体では「お疲れ様でした」を意味するが、他者の労苦を思いやり、ねぎらう心映えは、人として実に好ましい。
特に重労働などなくとも、日常的な挨拶のように使われ、この点、日本と韓国のユニークな近似性を感じてならない。世界広しといえども、人と人との間に、このような美しい挨拶を持つ国など、そうはないのである。
例えば英語の場合、「あなたは疲れた」と直訳してみたところで、生きた会話にはならない。中国語には「辛苦了(シンクーラ)」という表現があって、意味を汲めば「お疲れ様」になるものの、そこにはやはり、相手の口からその言葉が出るに足る実際の苦労=「辛苦」が必須条件となるように思う。日本語や韓国語のように、人間関係の潤滑油さながら、微笑みとともにさらりと交わされる挨拶にまで熟していない。そう考えれば、人類に誇る美しい言葉として、日韓から「お疲れ様」文化を世界にひろめたいようにも思えてくる。
もっとも、「お疲れ様」を使った韓国ならではの用途もある。「スゴハセヨ」と、命令形にしてしまうのは韓国語の独壇場で、しかもこれが、やはり日常的に多用される挨拶なのだ。
直訳すれば「お疲れになって下さい」となるが、食堂や店から出る時、タクシーを降りる時など、ねぎらい、激励の気持を込めて客の側から口にする。日本語ならば「頑張って下さい」となるだろうが、どうもことさらな感じは免れない。
私は特に韓国の食堂で、この言葉を聞くのが好きだ。「スゴハセヨ」と客が席を立って言い放てば、「イェ(はい)」と店員がすぐにも応酬する。丁々発止のやりとりのなかに、人間関係の温かさが滲む。
ここでは、客と店員の間に上下関係などない。昼の食堂が典型的だが、客自身も店を出れば、その人なりの労務が待ち受けている。お互いに「ご苦労様」と声をかけ、励まし合うことで、身過ぎ世過ぎの憂さをポジティブな生活のリズムへと転換して行くのだ。
遊興や芸能の場に於いて顕著であろうが、この国の人間関係のおおもとは共生、共歓であると私は思っている。街中の一膳飯屋のような場所にも、その美しいハーモニーがこだまする。私が言えば異風をまとうだろうと懸念しつつ、食堂のドアから半身を乗り出し加減に、勢いよく「スゴハセヨ」と言い放つ。背中に「イェ」の相槌を応援歌のように受けて、私もまた娑婆の巷へ勇気を持って船出する。
多胡 吉郎
(2010.3.10 民団新聞)