掲載日 : [2010-03-17] 照会数 : 6075
脱北の現実描く「クロッシング」
[ 雨に打たれる強制収客所のジュニ(中央) ]
「片一方の地」の絶望 涙
北韓炭鉱労働者家族の苛酷な脱北の実態を描いた、キム・テギュン監督作品の「クロッシング」(配給=太秦)が4月17日、東京、名古屋を皮切りに、全国で順次公開される。「生きるため」「家族を救うため」に、国境を越えるしかなかった脱北者たちの痛みと、彼らを待ち受けている残酷な現実を観る者に訴えずにはおかない。
痛みへ理解を共に
極限で家族を思う姿切々
北韓の悲惨な状況と、美しい映像のコントラスト。映像が美しければ美しいほど、深い絶望に襲われた北韓住民たちの姿がくっきり浮かび上がり、観る者に迫る。
舞台は2007年の北韓、咸鏡南道の寒村。炭鉱で働く元サッカー代表選手のヨンス、妻ヨンハと11歳の一人息子ジュニの3人家族にスポットを当てた。
「クロッシング」は02年3月、脱北者25人が北京のスペイン大使館に駆け込んで、韓国亡命に成功した事件をモチーフに制作された。
この事件以外にも同年5月、脱北者の両親と幼い少女ハンミちゃんを含む5人が、瀋陽の日本領事館に駆け込もうとして、中国人警官に引きずり出された衝撃的な映像は記憶に新しい。
脱北者が増え始めたのは95年からといわれる。北韓では93年に大水害が発生、95年、96年と続いた大規模な水害で深刻な食糧難に陥り、その後も干ばつで、壊滅的な状況に置かれた。96年以降、食糧危機で300万人以上が餓死したとも伝えられている。住民たちは家族の死を目の当たりにし、住みなれた故郷・国を捨てて、命がけで国境を越えている。
監督と作家の決意と執念で
映画のなかで、ヨンスが食糧を得るため、テレビを闇市場で売る場面がある。その闇市に集まるコッチェビ(ストリートチルドレン)となった飢えた子どもたちは、最後の力を振り絞るように生き延びている。それは、現在の北韓住民の姿そのままだ。
この映画が驚くほどリアルに描かれているのは、キム監督と作家のイ・ユジンさんの揺るがない決意と執念があったからだ。特にキム監督は、10年前に見た北韓に関するドキュメンタリー映像が、自身の人生を考えさせるものとなった。
5、6歳の幼いコッチェビたちが、道端に落ちているウドンを拾い、汚いどぶの水ですすいで食べている映像だった。「民族の片一方が、このような苦難と試練に耐えている状況を知り深く恥じた」という。
「生きるために別れるしかなかった家族の悲劇を通し、『片一方の彼の地』に住む人々の涙と、その理由を描きたい」
脱北ルートも秘密裏に撮影
2人は3年間の取材を土台に念入りな準備をし、企画・制作に4年の歳月を費やした。さらに実際の脱北者100人以上に会い、取材を重ね、メーンスタッフには脱北者も複数加えた。
そして、実際の脱北径路を再現するため、韓国、中国、モンゴルの3カ国を徹底して秘密裏に撮影した。
01年6月、北京のUNHCR(国連難民高等弁務官)事務所に、脱北者一家7人が駆け込んだ。脱北者が国連機関に直接、難民認定を求めた初めての事例として、世界的な注目を集めた。以降、04年に脱北女性1人が、05年に1家族4人、06年に9人、07年には母子がUNHCRの保護を受けたと伝えられる。
現在、脱北者は中国とその周辺国に約30万人に達すると分析され、韓国には約2万人、日本には約200人がたどり着いたといわれている。だが、私たちが忘れてならないのは、国境を越える前に、そして越えてからも目的を果たせぬまま、命を落とした人たちが多数いるということだ。
一部の脱北者が重い口を開くことで、実態が次第に明らかになってきた。キム監督は「脱北者の痛みを少しでも理解してもらいたい」との思いで完成にこぎつけた。
生きるか死ぬかのぎりぎりの状況においても、家族や故郷を思い、人間らしく生きようとするヨンス家族の姿が胸を締めつける。
■□
ストーリー 残された11歳の運命は
2007年の北韓、咸鏡南道の寒村。ヨンス一家は、貧しくも幸せに暮らしていた。ある日、妻が肺結核に。風邪薬さえ手に入らない状況にヨンスは、薬を求めて、ひそかに中国へ行くが、不法就労が発覚し警察に追われる身に。その間に病状が悪化した妻は亡くなり、一人残された11歳のジュニは父を捜しに中国へ向かう。1時間47分。
■□
上映日程
4月17日=渋谷・ユーロスペース(℡03・3461・0211)、名古屋・シネマスコーレ(℡052・452・6036)。5月1日=銀座シネパトス、千葉劇場、シネマート心斎橋、ほか全国で順次公開
(2010.3.17 民団新聞)