掲載日 : [2010-03-31] 照会数 : 5716
サラムサラン<20> シングル・クラブ
ソウルの中心街・鍾路の裏手、コルモッキルと呼ばれる細い路地を進んだ先に、その店はたっている。もとは朝鮮時代に建てられたという瓦屋根の旧家を改造して、柚子茶や五味子茶など、韓国伝統の茶を出す民芸調のカフェを構えた。
木曜の夜になると、この茶房に、5、6人の中年男女が集まってくる。そして、茶を喫しながら、話に興じる。店の女主人も、仲間に加わって話し込む。皆が50歳を越した年恰好だが、このほど、「シングル・クラブ」という会を結成した。会規となる条件はふたつ。独身であること。そして、メンバー内で恋愛をしてはならぬこと。実は、殆どの者が離婚経験者だ。事情があって離婚を選んだものの、どこか離れぬ心の虚ろさを、同じ境遇の者同士、励まし合って埋めるのだという。語り合うことで、男は離婚した女の立場を、女は家を出た男の思いを理解することにもなるらしい。
女主人も、やはり離婚を経験している。10年以上も前に夫と別れ、女手ひとつで2児を育て上げた。見るからにお人好しで、明るい微笑を絶やさないこの人に、苦渋の過去があるとはにわかには信じられない。人として内側から輝くものがなければあり得ない類の美しさが、曇りない笑顔に横溢している。重荷を背負う人の集まりであるシングル・クラブに、この人の快活さが間違いなく和みを与えている。
女主人とふたりきりの時に、尋ねてみた。人生に不満、不幸を感じることはないのか…。以前に、不満ばかりを感じて不安でならなかった頃があったが、やがて、それは気持が沈んで、自分から不幸に陥っていたのだと見極めたのだという。「それ以来、わたしはいつも空を仰ぎ見るの。雲に覆われ、雨が降ることがあっても、やがて必ず澄みきった青空がひろがるのだわ」‐。秋の空を映したような、澄明な眼差しが印象的だった。
もうひとつ、訊いてみた。再婚の意志はないのか…。「ないわね。離婚しただけでも、子供たちに随分傷を負わせたのだもの。再婚で、これ以上の心理的負担をかけたくはないわ」‐。
客が来て、会話は途切れた。笑みを浮かべた彼女のきびきびとした応接に、客も緊張を緩め、笑顔を返している。伝統茶の香気がほのかに漂う中、あたたかな笑みがこだました。客の殆どが常連客というのも肯ける。皆、彼女の人間的魅力に惹かれて、店を訪れるのだ。
ソウルは劇場都市だと言われる。モーパッサンかチェーホフの短編小説のような物語が、21世紀のソウルの路地裏にひっそりと息づいている。
多胡 吉郎
(2010.3.31 民団新聞)