掲載日 : [2010-05-19] 照会数 : 9479
フラッシュ同胞企業人<48>ボタン類の付属品特化
[ 1959年東大阪市生まれ。83年甲南大学法学部卒。97年からハリタ社長。1男2女。 ]
プラスチック成形
ハリタの張忠雄社長
町工場が密集する東大阪市で、プラスチック成形業を営む。ナイロンやアクリル樹脂を素材にして、服飾の付属品であるボタンやベルトのバックルなどを製造している。
外国のボタンや客からの依頼をもとにデザインを考案し、次にその金型を作成。そこに射出成形(素材を流し込むこと)し、出来上がった部品をメッキ加工後、染色して完成する。
小ロットの注文にも対応しており、「材料の品質から納期管理に至るまで、全ての生産工程を日本で行うことで、安心対応を心がけている」。
キーホルダーや携帯ストラップのパーツなども取り扱い、そのパーツにチームネームやマークなどを印刷し、商品を出荷する。印刷に関しては、パッド印刷・吹きつけ塗装により、曲面印刷や斜面印刷が可能だ。その技術を通じて、キャラクターフィギュアの印刷も行っている。
約1700平方㍍の敷地に1000平方㍍近い工場を有する。機械は11台、社員は12人。
目の届く範囲で
父親で2世の金官翼さんが機械1台でスタートしたのは1965年。3年後に(株)ハリタを設立した。「汗水流しながらコツコツと働く姿に、在日魂の馬力を感じた」と振り返る。「経営者は、何でもできなければならない。オールマイティーになれ」と、父親からよく言われた。
大学卒業後、知人の金型屋で3年間、修業を積んだ。「その経験が、自社の金型作りに役立っている」と、父親に感謝する。
また、「やたら事業を拡大してはならない。背伸びせず、商品管理は目の届く範囲にとどめること」が父親の口癖。父亡き後、「その言葉を今も守り続けている」。
「モノづくりの神様」と称された松下幸之助氏の人生経験に裏打ちされた言葉が好きで、なかでも「人に喜ばれるモノづくりをしていきたい」との言葉が、仕事に対する自信の支えになっている。
87年に入社する前の1年間、延世大学語学堂に留学した。85年に初めて韓国を訪れた際、「韓国語が話せず、自分の意思がなかなか相手に伝わらないもどかしさとともに、とても恥ずかしい思いをした」。帰国後、韓国語教室に通い、能力検定試験にもチャレンジするなど、韓国語の習得に余念がない。
韓国にはまって
韓国の魅力にとりつかれ、「韓日交流の懸け橋役を担いたい」との思いを強くした。大学時代のアメフト体験を生かし、07年に神奈川県川崎市で開催された「アメフト・ワールドカップ」では、韓国代表チームの通訳など運営スタッフとして尽力。
翌年には、韓国サッカー協会の公式ライセンス商品化事業代行社である「JOY FORCE社」が実施したサッカー代表グッズの作成業者募集に申請。対象が韓国内企業に限られたため、思いは叶わなかったが、今年から、代表グッズの日本地域販売契約店になった。それでも、「本業があくまでも中心」だ。
「子どもには、日ごろから韓国人であることを話している」。この4月、長男が小学校に入学した。「まだ先の話だけど、本業を継いでくれることを楽しみにしている」
◆(株)ハリタ〓東大阪市布市町1‐6‐17(℡072・982・0191)
(2010.5.19 民団新聞)